NO.1 - SEPTEMBER,2002
 ―森下典子 エッセイ―



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●NO.1(2002年9月)

栗の甘い、ぽくぽくとした歯ごたえと、
それにならまるモチモチ感
今年もちゃんと、秋が来た…


鶴屋吉信の「栗まろ」

 れは丸くて白い「まんじゅう」だった。一見、どこにでもある「まんじゅう」に思えた。ところが、それをモグモグ食べると、なんだか少し、泣きそうになるのだった……。
あれは、五年前のこと。その夏、私は砂漠の真ん中で遭難したような心境だった。春に出版する予定だった本が、まだまとまらない。もう二年半も書き続けてきたのに、いつまでたってもゴールが見えず、書けば書くほど散漫になっていく。歩いても歩いても、あたりは砂の海。焦って走ろうとすると、足がズルズルと砂に埋もれる、そんな砂漠に似ていた。
 編集者も、言いにくそうに、
 「森下さん、このままじゃ、ちょっと、本になりにくいですねぇ」
 と、溜め息をついた。私はスランプにあえいでいた。
 行き詰まりに、猛暑が追い討ちをかけた。日中の気温は各地で35度を突破し、夜はサウナのような熱帯夜が続いた。明け方まで眠れぬ夜、私は、汗にまみれて寝返りを打ちながら、
 (こんなに暑いなんて異常だ。地球がおかしくなってるのかもしれない…)  と思った。
 喉を通るのは、そうめんと水羊羹とゼリーくらいだった。水羊羹やゼリーの、冷たく、つるんとした感触だけが、暑さとじりじりとした心の焦りを、一瞬、忘れさせてくれる気がした。霜のついた窓のような曇りガラスの皿から、銀色のスプーンで一口しゃくって、揺れるゼリーを口に入れる。ヒヤッとしたものが、つるりと喉を通ると、暑さも焦りも、一瞬、遠のいた。
 真夏の持久戦は長かった……。
 (いつかきっと、この苦しさも過去になる)
 そう自分に言い聞かせ、汗にまみれて毎日、机に向かった。


鶴屋吉信の「栗まろ」












 月になっても真夏日は続いた。やがて台風が二つ来て、大雨が降った。
 その台風が去った土曜日、私は久しぶりにお茶の稽古にでかけた。二十歳の時に通い始めて二十数年。毎週土曜日は、お稽古に行く習慣だけれど、八月は、「夏休み」になっていた。
 一ヵ月ぶりのお茶室だった。なんだか、もっと長い間、来なかった気がした。床の間には、竹籠に、白い芙蓉と赤いみずひき。
 「さ、どうぞ。お菓子をお取りなさい」
 織部焼きの菓子器が目の前の畳に置かれた。
 蓋を持ち上げると、中に、白くてまん丸いものが並んでいた。
 (うわ、まんじゅうかぁ……)
 きっと、餡子がみっしりと詰まっているに違いなかった。この一ヵ月、つるりとした冷たいものだけを受け入れてきた私には、まんじゅうは、正直、鬱陶しかった。
 黒文字の箸で、一つ取り上げ、懐紙に乗せた。かなり大きい。
 一口、あぐりと齧った。その途端、驚くほど大きなものの歯ざわりに出会った。
 「あ……」
 栗が、中にごろんと鎮座していた。それも、とびきり大粒のが、丸ごと一粒。
 「まんじゅうの皮をかぶった栗」
 と言ってもいい。
 その、金時芋のような栗のまわりを、多すぎず少なすぎない、絶妙な分量のこし餡が、取り巻いていた。栗の天然の甘みと、こし餡の上品な甘み。一個のまんじゅうの中に、甘い豪華な競演がひそんでいた。
 さらに、その栗と餡子を包み込む、まんじゅうの生地のえもいわれぬ触感……。(丹波のツクネイモをすりおろして蒸し上げた皮なのだそうだが、)しっとりとして、ねばりと弾力があり、栗や餡の甘味に、モチモチとからまるのである。
 私は、久しぶりに、モグモグと口を大きく動かしながら、栗の甘い、ぽくぽくとした歯ごたえと、それにからまるモチモチ感を噛みしめた。眉が「ハ」の字におっこちて、自分の顔が幸せにゆるむのを感じた。
 そして、突然、気づいた……。
 稽古場の庭の、木々の葉を揺らす風の音が、さやさやと柔らかくなっている。どこかで、鈴虫が鳴いている。いつの間にか、ヒヤッとしたものではなく、ほっこりとしたぬくもりに、親しみを感じる季節になっていたのだ。
 酷暑とスランプの中で原稿を書き続けた結果が、徐々に実り始めていた。
 「この調子でいきましょう。来年の初めに出版ですね」
 と、編集者が微笑んだ。


今年も「'02」が出た
 

のまんじゅうは、鶴屋吉信の「栗まろ」といった。その年に獲れた丹波の新栗で作るのだそうだ。白い皮の上に、「栗」を現す象形文字と、その年の年号の印が、押してある。その年号は、なぜか西暦である。「1999」「2000」「2001」そして、今年も「'02」が出た。
 その年に収穫したぶどうで作ったワインの新酒「ボジョレーヌーボー」の封を切って飲むのは、ヨーロッパの晩秋の風物だというが、年号の入った「栗まろ」は、私にとって初秋の「ボジョレーヌーボー」である。
 夏の暑さが厳しく辛い年ほど、「栗まろ」を食べる歓びは、ひとしおである。もぐもぐしながら、栗とこし餡と皮のハーモニーに陶然とし、
 「ああ、今年もちゃんと、秋が来た…」
 と、ちょっと、泣きそうな顔になる。



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