●NO.3(2002年11月)
私には、忘れられない柚子まんじゅうがある
たった一つの小さな柚子まんじゅうの中から、
繰り返し放たれる甘さと香り
長門の「柚子まんじゅう」
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師走。間もなく「冬至」がやってくる。むかしの人は、
「冬至に柚子を浮かべたお風呂に入れば、一年中、風邪をひかない」
と言ったのだそうだ。ここはなんとしても、この季節のイチ押しの和菓子「柚子まんじゅう」について思いのたけを書きたい……。そう思って、先日、デパチカの和菓子コーナーを捜し歩いた。
ある有名老舗のコーナーにあったが、そのまんじゅうは色が冴えなくて、おいしそうには見えなかった。がっかりした。
私には、忘れられない柚子まんじゅうがある。今から二十数年前、いとこと二人でお茶の稽古を始めて間もない頃に、一度食べた。私たちに食べさせたくて、その朝、先生は、わざわざ電車に一時間乗って日本橋までそれを買いに行ってくださったのだった。
その小さな柚子まんじゅうの可愛らしさと、口の中でふわんと広がった香りを、私は今だに忘れることができない。
ここは妥協せず、是非とも、あの「柚子まんじゅう」を食べたい。そこで今回は、デパチカには出店していないあの老舗に買いに行くことにした。
東京駅八重洲北口から、丸善、高島屋へと抜ける「日本橋さくら通り」は、その名の通り、桜並木である。ビルの角を曲がると、晩秋の午後の日差しの中で、黄色から橙色に染まった葉が、はらはらと降り急いでいた。歩道を歩くと足元に積もった落ち葉が、カサコソ鳴った。
「さくら通り」を高島屋へ向かう右側に、うっかりすると見過ごしてしまいそうな小さな玄関があった。間口は、両手を広げれば届くほど狭い。見上げれば、ビルとビルに挟まれた、幅の狭いノッポビルの一階なのだが、足早に通り過ぎる人は、普通の民家だと思うだろう。
玄関の格子戸に、「切ようかん」「久寿もち」「栗むし羊羹」などと筆で書いた短冊が貼ってあり、戸の脇の小窓に、和菓子が飾ってある。商店らしい暖簾などはかかっていないが、格子戸が少し開いていて、中で営業しているのがわかった。
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長門の「柚子まんじゅう」 (画:森下典子)
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「ごめんください」
玄関のたたきに一歩足を踏み入れ、目を上げた正面の壁に、
「長門」
という古い看板が見えた。徳川幕府の時代から続いているという老舗の看板である。
小さな玄関のたたきに立つと、上がり框に、いかにも古めかしいショーケースが据えられていた。
「いらっしゃいませ」
ケースの向こう側が「お帳場」。紙箱がいっぱい重なっていて、エプロン姿の女性が二人、立っていた。
ショーケースの中に、その日の和菓子が一個ずつ、等間隔に並んで陳列されていた。それを見た時、思わず、
「あった!」
と、声がでた。
皿の上に、小ぶりの黄色い「柚子」が乗っていた。黄色い実の頭には、ちょこんと可愛い緑色のヘタもついている。小さくて、そっくりで、なんとも愛らしい。まぎれもなく、20年前、お稽古場で食べたまんじゅうだった。
「これ、おいくらですか?」
「一つ300円です」
確か、当時も同じ値段だったような気がする。先生から聞いて驚き、「一個が、ですか?」と、聞き返した覚えがある。
「……5個ください」
紙包みを手に、家へ帰って、煎茶の準備をした。お湯をわかしながら、昔ながらの紐のかかった紙包みを解く。
「お母さん、おいしい和菓子、買って来たからお茶にしようよ」
気に入っている蛸唐草の皿を取り出し、それに一つ乗せ、母の目の前に置いた。
「あら、柚子?」
しげしげと眺めていた母は、
「うわぁ〜!この柚子の皮の質感……」
と、絶句した。
そうなのだ。柚子の実は、ボコボコしている。そのボコボコしたアバタの感じを、このまんじゅうの皮は再現している。(二十年前は、 今のよりもっとボコボコしていた)
柚子の実を枝から取る時、短く切られたヘタは、深緑色の練り切りで作られている。
「神は細部に宿る」
という言葉が心に浮かんで消えた。
さて、二つに割ると、中は深紫の餡子。山吹がかった黄色の皮とのコントラストが美しい。
一切れ口に入れた。その途端、
「……」
ふわんと、鼻に抜けていったのは、あの柑橘系の優しい香りだった。
「ん……」
思わず、母と顔を見合わせ、
「柚子だねぇ〜」
と、二人同時に頷いた。
ボコボコとした黄色いまんじゅうの皮の中に、荒くおろした柚子の皮が混ぜ込んであって、その香りが、一口食べるたびに放たれ、餡子の上品な甘さと口の中で混じり合う。
たった一つの小さな柚子まんじゅうの中から、繰り返し放たれる甘さと香りを丁寧に味わっているうちに、私は間もなく冬を迎える、夜の長いこの季節が、たまらなく豊かなものに思えてきた。冬って、いいな……。
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長門の「柚子まんじゅう」 (画:森下典子)
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