2010年7月―NO.92
どうしても忘れられない「皿うどん」がある。 蘇州林の「皿うどん」
長崎・眼鏡橋 (画:森下典子)
さて、ちょっと話は変わる。去年のこと、喜寿になった母が、 「私はまだ長崎に行ったことがないのよ。一度長崎を見てみたい」 と、言いだした。すると、歴史好きの弟が、 「長崎なら俺も行きたい。坂本龍馬の作った亀山社中が見てみたいんだ」 と身を乗り出し、年末に一家で旅行をした。 長崎空港に降りると、すでに「龍馬ブーム」が始まっていた。タクシーの運転手さんも、 「福山雅治が長崎の出身ですけん、2倍盛り上がっとっとです」 と、張り切っていた。 龍馬たち海援隊の隊士が通った狭い石段、通称「龍馬通り」を通って、亀山社中資料館に入った。そこは古い小さな木造の家である。床の間に、龍馬の紋付、刀、高杉晋作からもらったのと同型のピストル、月琴、幕末の志士たちの古写真、手紙などが展示されていた。 「龍馬はよくこの床柱に背中を持たせかけていたそうです」 と、説明されて、観光客が、 「龍馬が?ほんとー!」 と、次々に煤けた古い柱を撫でてみたりする。私も並んでコシコシ撫でてみた。 資料館の向かいの土産物屋からの見晴らしが素晴らしく、 「あそこが長崎奉行所です。こっちの山の麓に、勝海舟の馴染みの女性がいました」 などと、店員さんが説明をしてくれた。 3日間で、ずいぶん色々な場所を見た。出島、オランダ坂、グラバー園、大浦天主堂、平和公園、原爆資料館、眼鏡橋、孔子廟、新地中華街、唐人屋敷、丸山、思案橋……長崎は実にいろいろな顔を持っていた。 よく長崎の文化を「ちゃんぽん文化」だというけれど、キリスト教、中国文化、西洋、幕末の志士たちの足跡がごっちゃに混ざり合って、いまだに歴史が生きている。横浜も同じ港町だけれど、長崎には長崎だけの特有の匂いが流れていた。