2011年7月―NO.102
あくまでも白く白く透け、もちもちと柔らかく、
ぷりぷりと弾力があって水も弾く……。
皇帝を虜にした傾国の美女の肌を思い描きながら、
私はビールを片手に、「笹かまぼこ」をかみしめる。
白鎌の「笹かまぼこ」
高校の何年の時だったか、漢文の教科書に、「長恨歌」が載っていた。白居易の有名な詩で、唐の玄宗皇帝と楊貴妃の物語が、何ページにもわたって綴られていた。
その長い詩の、冒頭も、中盤も、後半も覚えていないのに、なぜか、そこだけ妙にくっきり覚えている部分がある。
春寒賜浴華C池(春寒く、浴を賜う華C池)
温泉水滑洗凝脂(温泉、水滑らかにして、凝脂を洗う)
侍兒扶起嬌無力(侍兒、助け起こせども、嬌として力なし)
楊貴妃が、いよいよ皇帝の寵愛を受けることになり、温泉で体を洗うシーンである。
訳せば……まだ春浅い頃、楊貴妃は皇帝用の温泉に入ることを許された。滑らかな温泉水は楊貴妃のまっ白い肌を潤し、侍女たちに助け起こされた楊貴妃はなよなよとしていた……と、なる。
人生で最も、エロチックなものに敏感な年ごろだったから、私はもちろん、クラスのみんなも、楊貴妃の入浴シーンだけは、立て板に水のごとくスラスラとそらんじることができた。
さらに、楊貴妃が、昼も夜も、玄宗の相手をしたという場面、
「春從春遊夜專夜」(春は春の遊びに従い、夜は夜をもっぱらにす)
の部分では、
「夜をもっぱらにす、だって。キャー、いやらし〜」
と、教室中が盛り上がったものだった。
私は当時、ニキビの花盛りだったが、「温泉、水滑らかにして凝脂を洗う」の、「凝脂」とは、どんな肌なんだろうと想像をめぐらした。
女性の美肌の表現には「雪のような肌」「大理石のような肌」「もち肌」「吸いつくような肌」とか、いろいろあるけれど、「凝脂」って一体どんななのだろう?
さて、話はがらりと変わり、今年の夏である。先日の猛暑日の午後、外出先から汗まみれで家に帰り、シャワーを浴びた。さっぱりした風呂上がりに、冷蔵庫を開け、缶ビールをとりだしたら、覚えのないものが目に入った。
「この『笹かまぼこ』、どうしたの?」
「さっき、お隣からいただいたの。仙台のおみやげですって」
「ふうん。もらっていい?」
「いいわよ」
白謙の「笹かまぼこ」 |
ふにっ。
まるで肩透かしにでも合ったような柔らかさと、もちもちした弾力、そして、出汁のような風味が、みずみずしく口の中に広がった。
そういえば、生まれて初めて「笹かまぼこ」を食べた時も、この食感に感動したことを思い出した。
あれは一体、誰が持って来てくれたお土産だったのか。仙台の名物だから、仙台の人だったのだろうか?名前も顔も、それが男の人だったのか、女の人だったのかも覚えていないのに、そのお土産の食感だけが鮮明に残っている。
私は中学生だった。お客さんが帰った後、母がお土産の箱を開けて、
「あら、笹かま」
と、いそいそし、私にそれを1つくれた。
「笹の葉の形をしているから、笹かまぼこと言うのよ」
白謙の「笹かまぼこ」 |
肉厚で、白い。表面はこんがりとキツネ色の焼き色がついている。口に入れて噛んだ途端、その不思議な感触に驚いた。
(……!)
身はふわふわと柔らかいのに、もちもちとした弾力があって、ぷりぷりと歯ごたえもある。
噛むと、果物みたいに、どこからか、おいしい汁がじゅわーっと出て、ぷうんと出汁のような香りが口に広がる。
キツネ色の焼き色のついた表面は、ちょっとゴワゴワと皺っぽくなっている。食べているうちに、もちもちした身の弾力と、キツネ色のゴワゴワした表面が自然に剥がれて隙間ができ、その食感の違いが実においしくなってくる。そして、噛んでいるうちに、次第に白身魚の風味と、いい味がしみ出てくるのだった。
その笹かまは、確か「白謙の笹かまぼこ」と言った……。
さて猛暑の日、ビール片手に食べた笹かまぼこの肌は、まっ白く透き通るようであった。
ふにふにとして柔らかく、もちもちと粘りがあって、ぷりぷりと水気をはじきながら、みずみずしかった。
(色白の女みたい……)
と、ふと思い、あの「長恨歌」の一節を思い出した。
「温泉、水滑らかにして凝脂を洗う」
「侍兒、助け起こせども、嬌として力なし」
その「凝脂」とは、もしかすると、この笹かまぼこの白身のような肌ではなかっただろうか?
あくまでも白く白く透け、もちもちと柔らかく、ぷりぷりと弾力があって水も弾く……。
皇帝を虜にした傾国の美女の肌を思い描きながら、私はビールを片手に、「笹かまぼこ」をかみしめる。
© 2003-2011 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.