2012年6月―NO.112
「はーっ」 このほどけるような柔らかさ、葛の風味の繊細さ。
そして、葛焼きの後にいただくお茶の、なんとおいしく舌にしみいることか。
三はし堂の「葛焼き」
中年になって良かったことの一つは、着物が似合う体つきになったことかもしれない。若い頃はウェストにタオルをぐるぐる巻きつけて補正しなければならなかったが、今や補正などいらない。だから、パーティーや友だちとの会食などにも、ちょくちょく着物で出かけていく。
着物で出かけると、世の中が親切にしてくれる。先日は、門を出たところでお隣のおじさんから、
「いよっ、お見事!やっぱり着物はいいねえ」
と、声を掛けられた。その上、駅のホームでは学生さんがこちらを振り返った。心浮き立つことこの上ない。お店では「どうぞ、どうぞ」と、男性がドアをあけてくれるし、友だちも、
「あら、着物で来てくれたの!?」
と、喜んでくれた。着物の御利益は大きい。
ただ、日本の夏は暑い……。この季節、着物は単衣から、絽や紗など薄絹の夏衣へと変わる。夏衣は透けていて、手触りもシャリッとしている。
「わぁ、涼しそう」
と言われるが、どんなに薄くても、下には肌襦袢と長襦袢を重ね、帯も締めているのだから、着ている本人は決して涼しくない。「透け感」のある夏衣は、着る側ではなく、むしろ見る側を涼やかな気持ちにさせるのである。
和菓子の世界で、絽や紗に当たるものは、寒天や葛である。この季節、「水ぼたん」「水まんじゅう」「淡雪羹」「錦玉羹」など、寒天や葛を使った透明で濡れた感じの意匠が、朝露や澄みきった清流、雨や波しぶきを表現してひんやりとした涼を呼ぶ。
何年か前、京都の知人からお土産に老舗の和菓子を頂戴したことがあった。
三はし堂の「葛焼き」 |
三はし堂の「葛焼き」 |
その口ぶりから、なにやら「確信」が伝わってくる。箱の中身は見えないけれど、京都の和菓子だもの、きっとハッとするほど美しくて、おいしいに違いない。
家に帰って蓋を開けた。すると、紙箱の中に、地味な餡子色の立方体が並んでいた。
(なんだ……。「きんつば」か……)
正直、がっかりした。いや、「きんつば」は大好きなのだ。だけど、あの時の私は、もっと夏らしい、涼やかで美しい和菓子を期待していたのだ。だって、京都だもの……。
「きんつばいただいたから、食べない?」
と、母に声をかけ、お茶をわかした。お皿を出し、その上にきんつばを載せようと、手でつまんだ。その瞬間、ふにゅっ、とした。
(あれっ?!)
なんだろう、この感触。これは、きんつばじゃない。私は謎の軟体動物でも観察するように、改めて箱の中をじっと見た。六面体で角がきりっと立っている。全体は餡子の色だが、角に近くなるにつれて、あたりが夏の夕暮れのように半透明に透けている。表面には軽くカリッとあぶったような褐色の焼き目がかすかについている。なのに、あの得体の知れない柔らかさ。これはなんだろう?
再びつまんでみた。ふにゅふにゅと弾力があり、肌がなめらかである。そのまま口に入れてしまった。
すると、口の中で一瞬、スフレのようにぷるぷるし、それがたちまちなめらかな舌触りに変身し、すーっとしみ込むようになくなってしまった。
あまりにはかなくて、「食べた」という実感さえない。だけど、食べた証拠に、あっさりとした甘さと葛の優しい風味だけが口の中に残っている。その後味の、なんという爽やかさ……。蒸し暑さがしばし遠のいた。
「これ、なに?」
それが、初めて「葛焼き」というものを食べた「関東人」の感想である。
葛焼きとは、吉野葛に小豆の漉し餡と和三盆を加えて(種類によっては、葛と水だけで)練り上げ、蒸してから小口に切って、鉄板で六面を焼いたものである。シンプルなだけに、和菓子の職人にとっては、こわいお菓子でもあるという。
視覚的な意匠ではなく、ひたすら葛だけを使い、独特の食感だけで口の中に涼を呼ぶ。
その感動を京都の知人に伝えたら、
「気にいらはった?嬉しいわぁ。こちらでは、夏のお茶菓子いうたら葛焼きなんどす」
と、言った。
今年も夏がやってきた。冷たいものもいいけれど、私は時々、あの不思議な食感と後味が欲しくなる。だけど、関東では「葛焼き」を見ない。くず餅でも、わらび餅でもない「葛焼き」がいいのだ……。
三はし堂の「葛焼き」 |
三はし堂の葛焼きは、半透明の葛の中心に、餡が入っている「餡入り」と、「餡なし」の二種類だが、私の選んだのは「餡入り」である。
お茶の用意をし、青楓の皿に一つ載せて眺めた。なんとも涼やかだ。小さく切り、口に入れる……。
「はーっ」
このほどけるような柔らかさ、葛の風味の繊細さ。
そして、葛焼きの後にいただくお茶の、なんとおいしく舌にしみいることか。
© 2003-2012 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.