2012年7月―NO.113
小さく切り分けた、このミニチュアの西瓜を口に入れると、
西瓜の味はついていないはずなのに、夏の縁側の解放感と蝉の声を思い出す。
榮太樓總本鋪の「西瓜まんじゅう」
棚の一番奥まった引き出しに、子供の頃のアルバムが入っている。布張りの分厚い表紙に、馬車の絵と、
「この道はいつか来た道
ああ そうだよ
お母さまと馬車で行ったよ」
という北原白秋の詩が刺繍されている。
硬いページを一枚一枚めくると、赤ん坊の頃からの赤茶けたモノクロ写真が貼り付けてある。
そこに写っているわが家は小さくて、庭に面して小さな縁側がせり出していた。その縁側で、丹前姿の父の膝に抱っこされている写真や、母の田舎から遊びに来た若い叔母たちと並んだ記念写真がある。
この頃は、もう多くの人がカメラを持っていて、どこへ行くにも首からカメラをぶら下げ、写真を撮りまくっていた時代だったはずだが、その一方で、日本人はまだ写真を撮られる側になると、リラックスした自然な姿でいることができなかったようだ。
縁側にちょこんと腰かけている小さな私も、隣に並んだ叔母たちも、カメラに向かって照れくさそうな笑顔を浮かべながら、どこか一点かしこまって、両手を膝にきちんと置いている。膝の抜けたズボンや、ツイードのスカートの膝に揃えたその手に、「古き美しき日本」を見る思いがする。
そんな日本人を激変させたのは「シェー」の大流行だったのではないだろうか。小学校二年生の遠足の写真あたりから、「シェーの時代」が始まる。カメラを向けられれば、私たちは一斉に片足立ちして、「シェー」のポーズを取った。ちょうど同じころ、モノクロ写真がカラーに変わったので、「シェーの時代」は一層鮮やかに際立って見える。
大人も子どもも「シェー」をした。観光バスのガイドさんが鮮やかなミニスカートで「シェー」している写真がある。私はわが家の庭で父の大きな下駄をはき、弟と並んで「シェー」している。
「シェー」が日本中を席巻し、古き美しき小津映画のような日本は終わった。「シェー」以後、日本人はカメラを向けられると、「ピース!」と指を立ててポーズを取ったり、「はい、チーズ」と声をかけたりして、少しずつ、かしこまらずにカメラの前に立てるようになった気がする。
榮太樓總本鋪の「西瓜まんじゅう」 |
榮太樓總本鋪の「西瓜まんじゅう」 |
「お〜い、これ冷やして食おう」
休日だったのかその日、父はお昼に汗を拭き拭き、ビニール紐の網に入った緑色の大玉をぶら下げて帰って来た。
「あっ、西瓜だ!」
マスクメロンの味などまだ知らなかった。夏のスターは西瓜である。父が西瓜を買ってきてくれただけで、近所の子も呼び、お祭になった。
父は網に入ったままの西瓜を外の水道の蛇口にぶら下げ、ジャージャーと盛大に水を流した……。西瓜が丸ごと冷やせる大型冷蔵庫なんか、まだ日本のどこにもなかった。
西瓜は縁側で食べるものと決まっていた。台所の菜切り包丁でザクザク切って、縁側に運び出し、ハーモニカをくわえるように、じかにかぶりつく。顎まで汁をしたたらせ、シャツの胸が薄赤い汁で汚れるのも構わず……。シャリシャリして冷たく、うす甘い。流水で冷やした西瓜は、冷たさもちょうどよく、甘味にやさしい丸みがあった。
近所の子と縁側に並んで西瓜にかぶりついている姿がアルバムに残っている。「シェー」も「はい、チーズ」もなく、ただ、遮二無二、西瓜を食べている。
そういえば、あの頃、私は西瓜の種がイヤだった。黒い艶々した種。あの頃、誰が言ったか、子供の間では、
「西瓜の種を食べると盲腸になる」
という噂があった。私は、うっかり食べてしまった西瓜の種が盲腸にびっしり溜まって痛くなり、手術して切るのだろうと思っていた。だから丁寧に種を取り除き、実の奥についている種まで取り除いてから食べた。すごく手間がかかって面倒くさい。
榮太樓總本鋪の「西瓜まんじゅう」 |
(大人はどうして口の中で種だけ選り分け、あんなに勢いよく、機関銃みたいに吹き出せるのだろう)
それが不思議でならなかった。
縁側で西瓜を食べ一週間も過ぎると、縁側の前の庭に、小さなかわいい双葉が芽を出した……。
今ではクーラーで夏を過ごし、縁側で西瓜を食べることもなくなってしまったが、夏の縁側を思い出す夏季限定の和菓子がある。
榮太樓總本鋪の「西瓜まんじゅう」だ。箱を開けると、小ぶりの西瓜が鎮座している。直径八センチ。皮にはちゃんと濃い緑の縞模様が入っている。この皮は、山芋を擦りおろした「じょうよ饅頭」である。
是非とも本物の西瓜を切るように、切り分けていただきたい。すると……身は赤く、ポチポチと可愛い黒い種も入っている。白餡に食紅で色をつけ、黒胡麻を散らしてあるのだ。
小さく切り分けた、このミニチュアの西瓜を口に入れると、西瓜の味はついていないはずなのに、夏の縁側の解放感と蝉の声を思い出す。
八月三十一日までの「夏季限定」というのも、また楽しい。
© 2003-2012 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.