身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

2013年3月―NO.121

おいしさとは、記憶の安心感だ。

この味は、昔から多くの文人墨客にも愛されてきたのだ。

大船軒の「鯵の押寿し」


随十代の頃から、縞の着物に憧れていた。特に、細縞の着物を見ると、胸がときめいた。
 縞の着物には「粋ないい女」のイメージがある。情に厚くて姐御肌で、おきゃんだけど優しくて、酒に強くて男にも女にもモテる。
 あるいは、世間にも権力にも媚びることなく、自分の節を曲げずに生きる女……。そんなドラマチックでハンサムな人生にこよなく憧れていた。
 二十歳になってお茶を習い、初めてのお茶会のために着物を作ることになった時、先生は私の前に着物のカタログ雑誌を広げ、
「どんな着物がいい?」
 と、選ばせてくれた。淡い美しい色、華やかな柄がたくさんあったが、私はそれらを飛び越えて「これ」と、細い縦縞の着物を指さした。
「ハハハハ、それはあなたにはちょっと……。そういうのは、粋な人が着るものでしょう」
 と、先生に笑われた時、
(私って、粋じゃないんだな……)
 と、がっかりしたのを覚えている。
 それでも、縞の着物への憧れは止まなかった。ある日、よそからいただいた着物の中に、縦縞の小紋があった。青と水色の洒落た縞だった。私は踊りあがった。さっそく喜び勇んで羽織り、鏡を見た。そこには、粋ないい女がいるはずだった。
 ……ところが、まるでテイストが違う。
 粋、というより、けなげに見える。媚びることなく生きる女というより、子守奉公に出た「おしん」に見える。
 その時私は、似合わないものにどれほど憧れても、決して似合うようにはならないのだと悟った。

縞の着物が似合う女性といえば、真っ先に思い浮かぶのが沢村貞子さんだ。細縞の着物の胸元をゆったりと合わせ、帯は低めに締め、腰から下はキュッと裾がつぼまるようにカッコよく着る人だった。
 昭和の大女優で、名エッセイストであった。浅草生まれのちゃきちゃきの江戸っ子。「粋ないい女」のイメージのままの、潔い生き方を貫いた人だった。若い頃、教師を志望して、日本女子大学に入学したが、左翼演劇に加わり、治安維持法で逮捕された。仲間が次々に転向して行く中でも、安易な道を選ぶことなく、2年近くも拘置所で過ごした。
 その後、映画女優の道に入ったが、華やかなスポットライトを浴びる役ではなく、地味な役に取り組み、昭和四十年代、五十年代は、テレビドラマの名脇役として活躍した。
 嫁をいびる姑を演ずれば、これほど底意地悪く憎たらしく見える人はいなかったし、冷酷な娼家の女将などを演じると、ぎらりと光る抜き身のような怖さがあった。気風のいい下町のおかみさんを演じると、おせっかいで人情厚く、痛快で胸のすく思いがした。
 私生活では、二度の結婚を経て、妻子ある新聞記者と出会い、恋に落ちた。長い同棲生活の末に六十歳で結婚し、生涯を共にした。その最愛の人が亡くなった時、沢村さんは、
「なんにもできなかった。でも、一人だけ幸せにできた」
 という名言を残した。
「体の部品にあちこちガタが来ましたので店じまいします」
 と、引退したのは八十一歳の時。「フツーのおばさんになるのですか」と聞かれ、
「私は元々、フツーのおばさんです」
 と、答えたというのも、いかにもこの人らしい。何を語っても洒脱さの中に、一本筋が通った美意識を感じさせる人だった……。


大船軒の「鯵の押寿し」大船軒の「鯵の押寿し」大船軒の「鯵の押寿し」
大船軒の「鯵の押寿し」
  さて、今年も桜の季節がやってきた。この時期になると、私は電車に乗って、湘南方面にちょっと遠出したくなる。JR横浜駅の改札を入ると、そこに毎日、大船軒の「鯵の押寿し」のぼりが立っている。
 鯵を合わせ酢でしめて関東風ににぎり、関西風に押した「鯵の押寿し」は、百年前から売られている歴史あるお弁当だそうで、私が物心ついた時には、JR鎌倉駅のホームの大船軒の売店に、あののぼりが立っていた。そして、「鯵の押寿し」の折りの掛け紙は、当時から、粋な渋い縞模様だった……。
 紐をほどいて蓋をあけると、折りの中で押された寿司が隙間なく律儀に並び、青魚の皮が、抜き身のようにぎらっと光って、合わせ酢の、さっぱりとした酸っぱさが、たちまち食欲を目覚めさせる。
 私はかねがね、大船軒の「鯵の押寿し」を、
「駅弁の沢村貞子だ」
 と思ってきた。それは掛け紙の縞模様のせいばかりではない。その味に、粋と潔さと、一貫した美意識を感じるのである。
 割り箸をギュッと押しこんで寿司を一貫つまみ、口に頬張る。やや酸味の強い合わせ酢が、脂の乗った鯵に良く浸み、トロンと甘い。
 ギュッと詰まった寿司飯の量と、鯵の身の厚みと風味が口の中でピンポイント的なバランスをピタリと保ちながら混じり合う。
 おいしさとは、記憶の安心感だ。
(ああ、変わらない味だ……)
 と、ホッとして顔がゆるみ、箸が進む。
 この変わらない味をキープするために、作り手はどれほど己に厳しくあるのだろう。だからこそ、この味は、昔から多くの文人墨客にも愛されてきたのだ。
 その粋で潔い味の駅弁は、やっぱり、細縞の着物をまとっている。

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