2013年4月―NO.122
インスタントラーメン史に、新たな歴史が生まれたことは、疑いがない。
東洋水産の「マルちゃん正麺 味噌味」
風邪気味の時、○○を食べれば、風邪っ気なんか吹っ飛んでしまう……という食べ物が、誰にもあるのではないだろうか。
たとえば、「煮込みうどん」「たまご酒」「葛湯」は、昔からの定番であるし、「熱い番茶に梅干しとおろし生姜を入れて、ふうふうしながら飲む」というのも時々耳にする。
私にとっては「サッポロ一番みそラーメン」が、それだった。この国民的インスタントラーメンに、何度危機を救われたか知れない。体が妙にだるくて、ゾクゾクと寒気のする夜、私はよく、パジャマにガウンを着こんで台所に立ち、あのオレンジ色の袋を破いてラーメンを作った。
湯の沸いた片手鍋に、冷蔵庫の中に転がっているニンジンの切れ端や、小松菜、ネギなどを刻んで入れ、乾麺を入れる。菜箸でほぐしながら、麺が程よく柔らかくなったら火を止め、そこに粉末のスープの素を入れる。
どんぶりに移したら、赤い小袋に入っている「七味」も入れる。コーンの缶詰などがあると最高で、みそラーメンらしさがぐんと増したし、ニンニクを擦り下ろして加えると、翌日の匂いは気になるけれど、一段とおいしくなった。
どんぶりから立ちのぼる湯気に、いつもの「サッポロ一番みそラーメン」の香りがして、その優しさに、私は身も心もほどける思いがした。あの細めの縮れ麺が好きだった。ウェーブが強くて、スープがよくからみ、啜りやすい。
ズズッ、ズズッと無心に麺を啜っていると、「五目並べ」を思い出した……。
――あれは私が中学生。父もまだ四十代だった。父の会社の取引先から立派な碁盤をいただいたのに、わが家では誰も囲碁も将棋もしない。父は
「五目並べをしよう」
と、言いだし、私が対戦相手になった。私が何度も続けて父を負かすと、
「ようし、もうひと勝負だ!」
と、父はむきになり、
「おかあさん、みそラーメン作ってよ!」
と、台所に声をかけた。
「はいはい」
母は野菜のたっぷり入ったサッポロ一番に、アヲハタの缶詰コーンと、擦り下ろしたニンニクを入れた。野菜のエキスがいっぱい入って、ニンニクも効いて、スープの最後のひと口までおいしかった。
父と私はラーメンを平らげると、
「ようし、典子、今度は容赦しないぞ。ひと捻りにしてやるから、かかってこい!」
「やれるもんなら、やってみろ。返り討ちにしてやる」
などと言い合い、夜が更けるまで五目並べで激突した――。
風邪気味の夜、台所でラーメンを啜っていると、不意に、そんな昔のことを思い出し、一人でつい、思い出し笑いしてしまう。そして、食べ終わるとなんだか幸せな気持ちになり、額が軽く汗ばんでいて、さっきまでの背中の寒気も消えている。そのまま、早めに布団に入ると、安心してぐっすり眠れる。そして、翌朝目覚めると、風邪っ気など忘れているのだった……。
そうやって、ピンチを何度も救われてきた。いや、風邪気味の時だけじゃなかった。落ち込んだ時も、私は風邪をひいた時と同じように、サッポロ一番を作って、その味と温かさに包まれながら、布団に潜り込んで深く眠った。わが「サッポロ一番みそラーメン」は、日本のスタンダードでもあって、半世紀近くもインスタントラーメン界で不動の地位を保っていた。
東洋水産の「マルちゃん正麺 味噌味」 |
……というわけで、遅まきながら、噂の「マルちゃん正麺 味噌味」を買ってみた。黄金に輝くパッケージと、「これぞ正しい麺」といわんばかりの「正麺」というネーミングに、並々ならぬ自信が見える。
袋を開けると、丸い形の太麺である。油で揚げず、生麺をそのまま熱風で乾燥させたとかで、表面がこざっぱりとしている。鍋に湯を沸かし、沸騰したところで野菜と麺を入れ、袋に書いてある通り、四分煮る。
その間に、小袋の液体スープをどんぶりに入れ、麺がゆであがったところで、どんぶりに移し、チャーシューを添えてみた。
さあ、味はどうだろう……。麺を箸で引きあげ、啜ってみた。
「……」
最初、麺がヌメるのが気になったが、二口三口と味わううちに、もっちりとした食感がわかってきた。
「ほんとだ。生麺ぽい……」
そして、スープを一口啜る。……初めは、薄すぎるような気がしたが、やがて素直で押しつけがましくない味にハッとした。
そうだ。思えば、「サッポロ一番」の味には決まった狭い方向性というか「癖」があった。それがインスタントラーメンというものであって、その味に馴染み、長年愛してきたのだ。だが、「マルちゃん正麺」のスープの味には、その癖がない。様々な具のアレンジによって、味を豊かに広げる余白が与えられていた。
私はその時、インスタントラーメンが、インスタントの枠を超えたのを感じた。
「おいしいよ……これ……」
「チキンラーメン」「サッポロ一番」以来の、インスタントラーメン史に、新たな歴史が生まれたことは、疑いがない。
© 2003-2013 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.