2013年7月―NO.125
甘酸っぱい醤油ダレとからみ合った細麺の特有の歯ごたえ……。
その時、私の鼻の奥に、青空の下のプールの水の匂いが、一瞬がよぎる。
サンサス商事の「きねうち生麺 冷やし中華麺」
風鈴 |
夏に麺料理を作るのは実に爽快だ。茹であがった麺をざーっと一気にざるに開け、思いきり開け放った蛇口の下でジャージャーと洗って冷水でしめる。麺を洗う指先で、熱々だった麺がたちまちぬるくなり、冷たく変わって、麺がシャキッとしまっていくのがわかる。その感覚は、ぼやけていたピントが、ピタリと合っていくのに似ている。
水でしめた麺は、みずみずしく美しい。ざるで水気を切ると、
チャッ、チャッ、チャッ!
と、どこかの民族楽器のような小気味のいい音がして、冷たい飛沫が顔にはねる。
そんな時、私は、遠い昔のプールの喧騒を思い出す……。
「さあ、思いきって、飛びこんでごらん!」
と、母が叫んだ。あれは十一歳の夏休みだった。
二学期が始まると、学校で水泳大会があるのだ。プールサイドから勢いよく飛び込めば、その分、早く泳げる。
運動全般が不得意で、いつも自信のない私に、何か一つでも得意なものを身につけさせ、自信を持たせたいと母は思ったのだろう。夏休みに入ると、近所の公園のプールに毎日、私を連れて行き、飛び込みの特訓をした。三歳の弟は、プールのまわりで遊んでいた。
私は怖がりだった。プールの縁に足の指をかけ、一応恰好だけは身構えるが、いざとなると飛び込めない。いや、正直言えば、最初から、飛び込める気がしないのだ。
「ほら、思いきって、蹴ってごらん!」
プールサイドから、母の叱咤する声が何度も聞こえるが、怖くてどうしてもダメだ。
しかし、飛び込めないまま何日も過ぎたある日、突然、事態が急変した。
飛び込んだのは、弟の方だった。プールのまわりで遊んでいるうちに、頭から逆さまに落ちたらしい。
「きゃーっ!」
「落ちたわよー!」
というまわりの声で、そちらを見ると、弟の脚が水から出ていた。母は慌てて駆け寄り、弟の脚をつかんで、プールから逆さにザバーッと吊り上げた。ずぶぬれになって引きあげられた弟は、一拍おいて、
「わぁーっ!」
と、火がついたように泣いた。
その一部始終を見て、私は焦った。こういう時、言われることはわかっている。
「弟の方が、思いきりよく飛び込んだじゃない。あんたはお姉ちゃんのくせに……」
そう言われるに決まっている。このままでは、姉としての立場がない。
私はその時、「捨て身」になった。
ようし、こうなったら……。
サンサス商事の「きねうち生麺 冷麺」 |
バシャーンと盛大な水しぶきが上がり、水中でゴボゴボと音がした。鼻の奥に水が入り、キーンと痛かった。水面から顔を出すと、母がプールサイドで手を叩いている姿が見えた。
一度、飛びこめたら、あとは何度でも同じ。私はコツをつかんだ……。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」
という言葉を知ったのは、それから十年以上たってからのことだが、私は知識としてではなく、この言葉の精神を、十一歳の夏休みに体で知った気がしている。
そのプールの帰り、母と弟と三人で、中華料理屋さんに寄ったのを覚えている。私は、猛烈な食欲で、冷やし中華を食べた。うまかった……。
千切りのハム、キュウリ、錦糸卵などの下から、麺を引きずり出し、甘酸っぱい醤油タレにからめ、息せききって、わさわさとかきこんだ。麺がシコシコしていた。
「ふう〜む」
おいしさに唸ると、ふわーんとゴマ油の風味が香り、そして時々、水の入った鼻の奥がキーンと痛んだ。
あれからもう四十年以上過ぎたのに、私は夏に冷やし中華を作るたびに、あのプールの水しぶきや、鼻の奥のキーンと来る痛みを思い出す。
今年、私がハマっている冷やし中華の袋麺がある。会社名は、サンサス商事。
「きねうち生麺 冷やし中華麺」
という。その袋の写真に一目で惚れた。
細麺である。輪ゴムくらいの細さ。今打ったばかりのように角がピッと立ち、蜜色に透けている。
袋の説明によれば、小麦粉のたんぱく質の高グルテン化、素材粉全部の高α化を実現したとかで、茹で時間は、たったの五十秒。
作って見ると、これが想像以上に美しい。
チャッ、チャッ、チャッ……と、ざるで水気を切ると、プルプルとして半生っぽく透けた細麺が、艶やかに濡れている。今にも食べたいところをグッとこらえて皿に小高く盛り、薄焼き卵、キュウリ、ハム、蟹カマなど、千切りにした具材をその周りに……。
さて、いよいよである。麺を引きずり出し、具とあえながら、口に入れる。甘酸っぱい醤油ダレとからみ合った細麺の特有の歯ごたえ……。その時、私の鼻の奥に、青空の下のプールの水の匂いが、一瞬がよぎる。
© 2003-2013 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.