2013年10月―NO.128
蓋を開けた途端、おかずの色どりの豊さに、思わず「わぁー!」と声が出た。
そして、一つ一つ、口に入れるたび、丁寧な味に唸らされた。
菊乃井の「高台寺」
息をするのも忘れ、ある景色に見入ったことがある。秋の終わりの京都の、紅葉の最後のシーズンだった……。
東山の旅館で早めの夕食をすませ、腹ごなしに四条通でもぶらりと散歩しようと、玄関で靴を履いていた私に、女将さんが、
「お客さん、もう高台寺、行かはりました?」
と、声をかけてくれた。
「いいえ」
「ライトアップ、今週いっぱいどすえ」
宿の目の前は、高台寺へと続く「ねねの道」だ。その石畳の道をぞろぞろと歩いて行く観光客につられて、私は何となく高台寺の石段を上がった。
正直、さほど期待はしていなかった。近頃、「ライトアップ」は珍しくない。闇に浮かび上がる建物や並木道の景色は、確かに幽玄な雰囲気があるけれど、どこの観光地でもやっている。高台寺のライトアップも、きっとそんな景色の一つだろう……と、思っていた。
高台寺蒔絵のなつめ |
「わぁー!きれい」
「さすが京都よねえ」
などと観光地らしく華やいだ声が上がり、カメラのフラッシュが白く光っていた。
私はそれを横目に先へと進んだ。……すると、庭の中ほどに黒山の人だかりが見えた。大勢の人がぐるりと何かを取り囲み、じっと見ているようだが、なぜか誰も語らず、動かない。不思議なほど、静まり返っている。
何だろう?
そっと近づいて、人垣の隙間から、それを見た。
「……うわっ」
そう言ったきり、言葉が出なかった。
何だろう、これは……!闇の中に、色とりどりの紅葉がライトで照らし出され、燦然と輝いている。そして、地面の下に、もう一つ、世界が見えるのだ。谷底深く、まるで化石のように静かな紅葉の森が見えるのだ。
美しい……。怖いほどだった。見つめていると、吸い込まれるように二,三歩前へ出て、その谷底の森に入って行けそうな気がした。
それが「臥龍池」の水面に映った世界だと気付いたのは、白い月が映っていたからだ。足の先から頭のてっぺんまで、ぞおーっと鳥肌が立つような感動が駆け抜けた。
風のない夜だった。どこまでが地上で、どこからが水の世界なのか、境界線がわからないほど、何もかもが完璧だった。
その美しい谷底の森は、この世にはない「幻」なのに、あまりにも鮮明で、ちょっと手を伸ばせば、枝に手が届き、木々の間をくぐって歩けそうな気がしてならない。
ふと、物語に登場する「黄泉の国」を思い出した。「黄泉の国」は、様々な条件や環境が合うと、こうして時おり、あたかも目の前にあるごとく、現れるのかもしれない。
そこにいた誰もが呆然と立ち尽くし、時おり、小さな声で、
「なんだか怖い……」
「吸い込まれそう」
「オー・マイ・ゴッド……」
などと、つぶやくのが聞こえた。
あの晩、大勢の人と一緒に、高台寺の臥龍池のほとりで目撃した美しさは、鳥肌立つような感動と共に今も忘れられない。
今年も秋のライトアップのシーズンがやってきた。時おり、新幹線に飛び乗り、高台寺に行きたい衝動にかられるが、時間に追われてそれもままならない……。
菊乃井の「高台寺」 |
蓋を開けた途端、おかずの色どりの豊さに、思わず「わぁー!」と声が出た。そして、一つ一つ、口に入れるたび、丁寧な味に唸らされた。
茄子の炊き合わせは、上等なお出汁が口の中に驚くほどジュワッと溢れた。ごぼうを巻いた鶏肉は、ごぼうの歯ごたえが心地よくて香ばしく、鶏肉もいい味がした。里芋の揚げものは、柔らかく煮えて、繊細な優しい味がした。出汁 巻きは、上品なお出汁の香りで、うっとりとなるほどだ。大根の含め煮など、これほどおいしいおつゆを含んだ大根は初めて食べた。
華やかに見えるお弁当のおかずの中には、たいてい、一つ二つ、軽く手を抜いたものや、埋め草のようなものがあったりするが、ものの見事にそれが一つもない。食べても食べても、その下から新たな野菜の炊き合わせや、お魚の粕漬けが現れ、それを口に入れると、またしても丁寧な味付けに驚く。
これは和食の宝箱だ。おかずのコーナーの片隅に入っている小さな漬物までも、心が行き届いていて、千枚漬のおいしさに思わずホッと心和む。そして、ご飯の上のそぼろ煮に混じっている実山椒はどうだ。青々とした鮮やかな香りがはじけて、最後の最後まで味覚を飽きさせない。これほど豊かな宝箱を、一五七五円で食べられるとは、何と幸せなことだろう……。
今年、高台寺のライトアップは見に行けないとしても、どこかの山の燃えさかる紅葉を見ながら、こんな贅沢なお弁当を広げたい。
© 2003-2013 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.