2013年12月―NO.130
この豆大福と、蒸しきんつば、父が食べたら何と言ったろう。
きっと、驚いた顔で「うんまい!」と唸ったに違いない。
和菓子処 四代目松川の「豆大福」と「丹波白小豆の蒸しきんつば」
四代目松川の「丹波白小豆の蒸しきんつば」 |
「九時半から並ばないと、すぐに売り切れてしまうこともある」
という噂を聞いた。「豆大福」と「きんつば」である。
正直、自分が行列を覚悟で「豆大福」を買いに行く日が来ようとは思っていなかった。
若い頃、餡子が苦手だった。餡子がたっぷり入った饅頭を見ると、いつもひるんで手が出なかった。
私の父は、若い頃、豆大福を一気に十七個食べて、「大福十七」というあだ名で呼ばれたツワモノだったそうだが、私はその血はひかなかった。
父は会社帰りにも、時々、行きつけの和菓子屋に寄って、渋い桔梗色の紙包みを小脇に抱えて帰って来た。
「おい、豆大福買ってきたぞ。しぶーいお茶入れてよ」
と、母に声をかけると、いそいそと手を擦り合わせ、桔梗色の包みの中から、経木に包まれた豆大福を取り出す。
「どうだ、お前も食べないか?うまいぞ」
白い粉にまみれた大福を幸せそうに頬張りながら、父が言うと、私はいつも、
「いらないっ」
と、顔をそむけた。
私はそもそも、餡子だけでなく、豆そのものが、あまり好きでなかった。父の好きな豆大福は、大きな赤えんどう豆がごろごろ入っていて、餅が内側から押し上げられ、形がぼこぼこしていた。
餡子と豆のダブル……。考えただけで、ゾッとした。
けれど、その一方で、餡子との付き合いは、別の場所で始まっていた。二十歳になり、お茶の稽古に行くと、毎回「上生菓子」と呼ばれる季節の和菓子が待っていた。
練りきり、饅頭、羊羹……。どれも豆であり、餡子だった。けれど、季節の上生菓子は、豆大福のように「豆」そのものの存在感が強烈ではなかった。
季節の花や景色を表す練りきりを食べると、さらっとした甘みが口に広がり、そのすぐ後に来る抹茶のほろ苦さで、潮が引くようにサーッと消えて行く。その後味のおいしさ……。
時々、餡子のいっぱい入った饅頭もあったが、甘みで味覚がいっぱいになった後に、どろりとした濃茶をいただくと、その直後、味覚に素晴らしい化学反応が起こった。たっぷりとした豆の甘みと濃厚なお茶の味が混沌と絡み合い混じり合い、やがて頭の中にフワーッと、圧倒的な幸福感が広がるのである。濃茶の味がこんなに深いのは、餡子の甘みがあってこそだった。
(餡子って、こんなにおいしいものだったのか……)
気がついた時、父は、もうこの世にはなかった。私はとうとう、
「どうだ、お前も食べないか?」
と、ニコニコしていた父と一緒に、豆大福を頬張ることはなかった。
遺伝子というのは、年を重ねてから目覚めるものもあるのだろう。
三十代の半ばを過ぎたあたりから、私は完全に、チョコレートよりも餡子を好むようになった。体が変わったのを感じた。疲れると、妙に餡子が食べたくなる。餡子を食べると、紐がほどけたように身も心もくつろいだ気分になり、
「あ〜あ」
と、どこからともなく、しみじみ声が出るようになった。
四代目松川の「丹波白小豆の蒸しきんつば」 |
四代目松川の「豆大福」 |
噂の「四代目 松川」はこじんまりとした一軒家だった。まだ九時半だと言うのに、もう店の前で数人が待っている。豆大福は午前十時にならなければ買えない。
十時ちょうどになった時、最前列の人から、そーっと引き戸を開けて中に入っていく。中は、四人も入ればいっぱいになるほど小さな玄関で、上がり口にガラスの商品ケースが並んでいた。
「豆大福」一箱、六個入り。それと「丹波白小豆の蒸しきんつば」を一つ買った。
すぐさま家に帰り、濃いめのお茶を入れながら、包みをほどいた。箱の中に並んだ豆大福を一つ手に取ると、ふにゃっとした。搗きたての餅である。まだほんのり温かい。そのまま一口頬張った。
「あ……」
黒豆の香り。そして粒餡の風味が来た。粒餡なのに、豆の皮を感じないほど柔らかく、砂糖の甘さは極力控えてある。小豆の最高品、丹波大納言と丹波黒豆を使っているそうだが、黒豆の香ばしさと粒餡の食感が混じり合って、豆そのもののおいしさだけで食べられる。
一つ食べ終わるや、すぐ二つめに手が伸びたが、ぐっとこらえて、「蒸しきんつば」を試してみた。……これがまたすごかった。ういろうのような弾力があり、切り分けた断面は、まるで桜の花びらで埋め尽くされた川面のように、ぎっしりと丹波白小豆の豆豆豆……。口に入れると、豆の滋味と風味と食感が、一体になって押し寄せる……。
この豆大福と、蒸しきんつば、父が食べたら何と言ったろう。きっと、驚いた顔で「うんまい!」と唸ったに違いない。
© 2003-2013 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.