2014年5月―NO.135
プルプルとしたのを楊枝で切って口に入れると、
ひんやりとしたものが、ゼリーのようにつるんと喉に滑り込み、
笹のさわやかな香りと一緒に優しい甘さが口に広がり、実に快い。
和久傳の「西湖」
空気がぼってりと分厚く、水けを含んできた。毎年、六月の雨に慣れている日本人でも、やっぱりこの時期は、
「ああ鬱陶しい。梅雨がなかったらどんなにいいか……」
と、思う。梅雨は、嫌われ者だ。
その一方で、木々の葉の勢いや、花の色どりにハッとする刹那があるのも、またこの季節なのだ。実は、私はこのごろ、
(日本の梅雨は、最高に美しい)
と、思うようになった。中でも、すばらしいのは水辺である。柳の緑は、滝のようにしだれて風に揺れ、岸辺には紫、白、黄色の菖蒲の花が咲いている。
池には、睡蓮の赤やピンクの花が浮かび、水面を丸い緑の葉が覆っている。池の中洲の黒く濡れた石の上では、亀が甲羅を干し、気持ちのいい風が吹き抜けると葦の葉が揺れる。スイーッとトンボが水辺をかすめ飛んで、杭の棒の先にとまる。
水けを含んだ空気の中で、アジサイの花がこんもりと手毬のように咲き、紫、青紫、赤紫、ピンク、白……と、配色のグラデーションをなしている。生垣には、白いクチナシが咲き、スイカズラの蔓がからんで、甘い香りを漂わせている。
ちゃぽん!
池の中で突然、鯉が跳ねた……と、思ったら、不意に、生ぬるい匂いがした。すると、空がにわかに暗くなり、遠くで雷が鳴り始めた。その遠雷の音が徐々に近づいて大きくなり、ざわざわと風が吹いて草むらが騒ぎだし、突然、「ポタ!」と、温かい水が空から落ちてきた。
ポタ!
ポタ!
ポタ!ポタ!ポタ!
和久傳の「西湖」 |
アジサイの葉っぱがサワサワと鳴り、激しくなる雨脚にせかされて、人々が右へ左へと駈け出した。
私はびしょぬれで走りながら家に帰りつくと、熱いシャワーを浴びる。さっぱりと着替えてから、庭に面した掃き出し窓を開け放ち、盛大に庭に叩きつける雨を見ながら、窓辺に座って冷えた缶ビールに喉を鳴らす。雨交じりの吹き込む風は湿っぽく、廊下を少し濡らすけれど構わない。軒下に吹き込む雨は、なぜか私を無性にわくわくさせる。
そんな時、私はいつも目を閉じて、
(私は今、東南アジアのリゾートにいる)
と、思う。肌にまとわりつく湿った空気と、深い緑に叩きつける雨音を聞いていると、それは紛れもなく、東南アジアだった。
インドネシアかシンガポールあたりのコロニアル風のホテルの、鮮やかな蘭が咲き乱れるパティオで、私は今、カクテルを飲んでいる……。あるいは、フィリピンの島のリゾートで、コテージの籐椅子に寝そべり、日に何度も通り過ぎるスコールを眺めているのである……。
事実、六月の日本には、東南アジアが来ている。アジア稲作地帯の、たっぷりと水けを含んだ空気が、舌のようにベローンと長く伸びて、日本列島を舐めている。その長い長い舌の前線が停滞している間、私たちは日本にいながらにして、東南アジアにいるのと同じ空気を味わうことになる。
この季節は美しい。整然と田植えされた水田で、稲がすくすくと育つ。清流でアユが泳ぎ、青梅は、葉陰で丸々と実り、その表面はビロードのような産毛に覆われる。そして、静かな里の水辺では、夜、蛍が飛ぶ……。
和久傳の「西湖」 |
「冷蔵庫で冷やして召し上がってください」
と、言われた通り、よく冷やしていただいた。みずみずしい笹の葉をほどいて開くと、驚くほどさわやかな緑の香りが鼻を打った。中は、朝露のように濡れ光る、褐色のプルプルとした餅であった。
れんこんの根からとれるでんぷんに和三盆で甘みをつけた粘りのあるれんこん餅である。プルプルとしたのを楊枝で切って口に入れると、ひんやりとしたものが、ゼリーのようにつるんと喉に滑り込み、笹のさわやかな香りと一緒に優しい甘さが口に広がり、実に快い。ふと、
「ほ、ほ、ほーたる来い。あっちの水は甘いぞ」
という歌を思い出した。
そのお菓子の名前は、和久傳の「西湖」といった。「西湖」とは、中国・浙江省の湖で、蓮の花が咲く名所だという。
東京の蓮の名所は、上野の不忍池である。以前、不忍池で蓮の盛りに大雨に降られたことがあった。その時に見た、蓮の美しさは忘れられない。
葉の上に降った雨が、ガラスのおはじきのような玉になってころころと転がり、大きくまとまる。やがて葉が首を振るように揺れて、水がざっとこぼれ、飛び散った水の玉は、下の葉の受け皿に溜まって、また飛び散る……。
蓮池の向こうには、緑青色の弁天堂の屋根が反り返って見え、私はその時、中国の江南か、ベトナムにいる錯覚を覚えた。
梅雨は美しい……。
© 2003-2014 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.