2014年5月―NO.135
甘酸っぱい梅の味に、顔の真ん中がキュッとすぼまった。
と、同時に、口の中いっぱいに爽やかな梅の風味が広がり、
新鮮な唾液がいつまでも尾を引くようにあふれるのである。
佐藤松兵衛商店の「のし梅」
庭先で洗濯物を取り込んでいた母が、
「ねえ、梅に実がいっぱいついてるわよ」
と、言った……。二十年ほど前、猫の額ほどの庭に植えた梅の苗が立派な木になって、毎年、梅雨時に実をつける。
私は縁側のつっかけを履いて庭に出、うっそうと茂った葉にじっと目を凝らした。
「どこどこ?」
いっぱいついていると母は言ったが、実はすぐには見えない。この季節がやってくるたび、私はいつも自然の「戦略」の巧妙さに感心する。
梅の実は、葉の陰に生るので、実が小さいうちは葉に隠れて外から見えない。鳥や人間など、敵の目を逃れる植物の知恵である。次第に成長し、ふっくら大きく育ってはじめて、葉陰からチラチラと姿が見え始める。だから、私たちはある日突然、ピンポン玉ほどの立派な青梅が生っているのに気づいて、
「いつの間に?」
と、びっくりすることになるのだ。
私はすぐさま台所へ行き、流しの下からザルを取り出して再び庭に出た。
青梅は、うっそうと茂る青葉の迷彩色に紛れている。これも、敵の目を欺く梅の戦略。まるで「だまし絵」の世界である。
私はあちこちと木の周りで立ち位置を変えたり、目を細めてみたりする。そうしているうちに目慣れてくるのか、ころんと丸いものが見え始める。
「あ、あった!」
高い枝の先や繁みの向こうに、青くて丸い実が見え隠れしている。枝に手を伸ばし、実をつかんで、クルッと軸を回すようにすると、枝からホロッとたやすくもげる。いったん見え始めると、あっちにもこっちにも実が見える。青梅の収穫は楽しい。夢中になって手を伸ばし、つま先立ちし、実をもいではザルに入れ、入れてはまた実をもぐ……。
青梅 |
木の根元にかがんで、下から枝の内側をのぞき込んでみると、これまた違う景色に驚く。葉がうっそうと重なり合った暗闇に、葉と葉の隙間から漏れる太陽の光が、キラキラと瞬いて、まるで夜空の星のようだ。その暗がりの枝のそこにもここにも、まだまだいっぱい実が隠れているのだ。手を伸ばそうとすると、尖った枝がツンツンと歯向かってくる。樹木はこうして何重にもバリアを張り巡らし、実を守っているのだ……。
気が付けば、ザルがずっしりと重くなっていた。
青梅はかわいい……。
ころんと手のひらに乗せると、表面がスウェードのような産毛に覆われ、表面が白く靄って見える。なんだか、手の中で小動物が丸く蹲っているみたいで愛おしく、じっと見ていると指先がむずむずして、ぎゅーっと強く握りしめたいような衝動を覚える。
ザルいっぱいの梅を、台所の蛇口の下でジャージャーと盛大に洗う。梅仕事は楽しい。布巾で梅の水けを丁寧に拭きとり、生り口のくぼみについた茶色いへたを、一個一個、竹串の先で取り除く。その青梅を使って、わが家では梅酒や梅味噌などを漬けている。
佐藤松兵衛商店の「のし梅」 |
その瞬間、懐かしい味を思い出した。
(似てる、あの味と……)
「あの味」とは、竹皮に挟まれた薄いお菓子である。甘酸っぱい梅の味がした……。誰が買ってきてくれたのか、物心ついたころから、時々家にあって、よくおやつに食べていた。
そういえば、しばらく食べていない……。 思い出したら、なんだか無性にあの味が恋しくなり、デパートの銘菓のコーナーに行ってみた。
その懐かしいお菓子は、すぐに見つかった。山形銘菓、佐藤松兵衛商店の「のし梅」である。買って帰り、お茶を入れ、袋をあけると、「のし梅」は、今も昔のまま、本物の竹皮に薄く挟まっていた。手に持って竹皮をはがすと、オレンジ色がかった半透明の薄い板状のものがペローンと柔らかくしなだれてくる。慌てて口に入れると、甘酸っぱい梅の味に、顔の真ん中がキュッとすぼまった。と、同時に、口の中いっぱいに爽やかな梅の風味が広がり、新鮮な唾液がいつまでも尾を引くようにあふれるのである。そして、その後味と共に、なぜか頭の隅々、体の細胞の隅々まで目覚めたような気持ちになる……。
袋を見ると、山形では、名産の紅花の色をきれいに発色させるために梅の酸が必要だったために、紅花と共に梅の栽培が盛んだったと書いてある。「のし梅」の起源は、江戸時代に山形城主の典医が中国人から伝授された秘伝の気付薬だったそうだ。
梅には、食べ物が腐るのを防ぎ、毒を消し、疲れを癒し、血液を浄化する力があるという。
厳しい夏の初めに、梅は、茂った葉の陰から丸々とした青い実の姿をのぞかせる。その自然の摂理に、私は今年もまた驚く。
© 2003-2014 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.