2014年9月―NO.139
薄くコーティングされたホワイトチョコレートの下のケーキも
しっとりとして、ふわふわと沈み、レモンの風味が香る……。
パティスリー1904の「しまなみレモンケーキ」とフランセの「横濱ハニーシトロン」
フランセの「横濱ハニーシトロン」 |
パティスリー1904の「しまなみレモンケーキ」 |
今でもそのアーケードを歩くと、そこにあった和菓子屋さんのことを思い出す。小さい構えだけれど老舗だったそうだ。ショーケースの中にお饅頭、蒸し羊羹、季節の練り切りなどが並んでいて、お菓子を買うと、昔ながらの経木でさらっと包んで、それから「奴さん」の絵のついた奥ゆかしい桔梗色の紙で包装してくれた。
町の和菓子屋さんの多くがそうだったように、そのお店では洋菓子も売っていた。昭和四十年、小学校三年生の時、その和菓子屋さんのショーケースの高い場所に陳列されていたあるお菓子が、私を強く魅了した。
美しい黄色の薄紙に一個一個包まれた、ラグビーボールのような形のごろんとしたお菓子……。
「レモンケーキ」と、書いてあった。
まだ一個一個、丁寧に包装されたお菓子が少なかった時代、レモンケーキの黄色い包装は妄想をかきたてた。
その薄紙は、バレリーナのチュチュスカートの布のように透けて張りがあり、その色は、絵の具のチューブから絞り出したような美しいレモンイエローだった。包みの中は見えないけれど、細くなった両端が丸くなっているレモン形を見ているだけで、口の中が甘酸っぱく、鼻先にさわやかな香りが過った。甘酸っぱい幻覚に唾液がわいた。
あの頃、レモンは輸入品しかなくて、黄色い皮の上には必ず「sunkist」と青いスタンプが押してあった。まだ貴重品だったのだろう。紅茶に浮かべるレモンは櫛の歯型ではなく、薄く薄くペラペラにスライスされていて、その薄いレモンを紅茶に浮かべると、一瞬にして、紅茶の色がサァーッと薄く変わって、あたりに爽やかな青い香りが漂った。ただ、浮かべるだけではもったいないと思ったのだろう。スプーンの背でしごいて、徹底的に絞る人もいた。
レモンそれ自体が、憧れの果実だった。ほんの一切れ、わずか数滴で、パッと爽やかな香りが広がり、その搾り汁と砂糖が混じり合うと、甘酸っぱくとろける天国の味になる。
「レモンケーキ」の黄色い薄紙をじっと見ながら、九歳の私は全身を振り絞って、その味を想像した。
「…………」
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「しまなみレモンケーキ」と「横濱ハニーシトロン」 |
その夢のお菓子を食べたのは、いつだったろう。なぜか、覚えていない……。確かに一度は食べたはずだが、正直、記憶があやふやなのである。あやふやなのには理由があった。
幻滅したのである……。黄色い薄紙の中から出てきたのは、スポンジ生地の表面を、クリーム色でコーティングした菓子だった。表面だけがかすかに甘酸っぱくて、一瞬、レモンらしきエッセンスが香った。が、残りはすべてスポンジで、それもバサバサの粗雑なものだった。
一瞬、レモンの夢を見せてくれたのは、表面の薄いコーティングだけだった。私は、黄色い薄紙の包装と、「レモンケーキ」という名前に騙されて、甘酸っぱい夢を見たのである。
間もなく、バターやクリームをふんだんに使ったおいしい洋菓子がいくらでも食べられる時代になった。いつの間にか、レモンケーキの姿を見かけなくなった。それから何十年も過ぎて、たくさんのスイーツが流行ってはすたれた……。
どうしてだろう。ここ数年、時折ふっとあの黄色い薄紙に包まれたお菓子を思い出すようになった。あんなに幻滅したのに、美しいレモンイエローの包装への憧れが、心のどこかに生きているのである。
火事のあったアーケードを歩き、和菓子屋さんのあった場所を通るたび、ショーケースの高い場所にあったレモンケーキを思い出し、口の中がかすかに甘酸っぱくなる。
その昭和のレモンケーキが、昨今再び流行していることを知った。ネットで検索すると、「瀬戸田レモンケーキ」「湘南ハニーレモン」「蒼いレモンケーキ」「島ごころ」などなど、全国津々浦々で、レモンケーキが生まれているではないか……。そして、そのレモンケーキの多くが、黄色い薄紙か、それを想起させるような包装をしているのだ。
五十年前、あの黄色い薄紙に、激しく妄想をかきたてられた子供たちが、全国に数えきれないほどいて、その夢見たレモンケーキを再びブームにしたのだろう。
パティスリー1904の「しまなみレモンケーキ」と、フランセの「横濱ハニーシトロン」を食べた。 薄くコーティングされたホワイトチョコレートの下のケーキもしっとりとして、ふわふわと沈み、レモンの風味が香る……。今のレモンケーキは、あの日の妄想に近づいている。
© 2003-2014 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.