2014年11月―NO.141
噛む必要など一切ない。
舌と上あごの間で、くだけ、ほどけ、とろーんと水になって、体にしみた。
美濃喜の「丁稚羊羹」
水ようかんは、寒天と水分のバランスによって、硬めのものと柔らかめのものがあるが、私の好みは断然、柔らかめだ。それも、液体が何とか固体として立っているような、ぎりぎりの柔らかさがいい。柔らかいのに、きりりとしている。そういう水ようかんを口に入れると、舌の上で瞬く間に甘い水に変わっていく。その個体が液体化する口どけ感がたまらないのだ……。
十年ほど前、そんな「水ようかん」への思いを力説したら、ある人から、
「森下さん、福井の『でっち羊かん』食べたことあります?」
と聞かれた。
「でっち羊かん?」
初耳だった。
なんでも、福井の人にとっては、「水ようかん」は夏ではなく、冬の食べ物なのだそうだ。こたつで温まりながら、冷たい水ようかんを食べる風習があって、「こたつ羊かん」と呼ばれているという。
「いくらでも食べられて、中には一本ぺろりと平らげる人もいるんですよ」
「へえー」
美濃喜の「丁稚羊羹」 |
日本で生まれ、半世紀以上日本人をやってきても、知らないことがいっぱいある。日本の食文化は分け入っても分け入っても、まだまだ深い……。
ともあれ、噂の「でっち羊かん」は、私好みの柔らかめであるらしい。是非いつか取り寄せてみたいと思ってはいたがタイミングがなかなか合わず、今年になった……。秋のはじめ、「今年こそは」と、大野市の老舗「美濃喜」に問い合わせた。
「まだ『でっち羊かん』は、作ってないんです。11月の下旬になりますかねえ。作り始めたらこちらからご連絡します」
とのことだった。それから二ヶ月……。日々の雑事にかまけて、水ようかんんことをすっかり忘れてしまっていた、冬の入り口を思わせるうすら寒い日、
「福井県大野市の美濃喜です。でっち羊かん、作り始めました」
と、お電話があった。
「厚いのと薄いのがありますが、どちらにいたしましょう」
厚いも薄いも、初めてで勝手がわからないので、なんとなく「厚い方、お願いします」と答えた。
美濃喜の「丁稚羊羹」 |
大判の本くらいのサイズで、厚みは四センチほどあった。包装をほどき、B5版くらいのサイズの紙箱の蓋を開けると、銀色の細長い紙箱に流し込まれた水ようかんが二本並んで、みずみずしく光っていた。
さっそく、お湯を沸かして濃いめにお煎茶をいれた。「でっち羊かん」に厚めに包丁を入れる。水分の多い崩れやすいものだから、傷つけないように、そっと包丁の刃に載せて、手早く皿に移そうとしたが、でろんと滑って皿に落ちた。水ようかんと言うより、ムース、いや、マグロのトロの刺身に似た滑らかさを感じた。
改めて、皿の上の「でっち羊かん」を眺めた……。なんと美しい小豆色。上質なココアのような色だ……。
さあ、いただこう。スプーンでサッと角をすくい、口に入れた。ひんやりとしたものが、つるーんと口に入った。噛む必要など一切ない。舌と上あごの間で、くだけ、ほどけ、とろーんと水になって、体にしみた。
なんて澄んだ味だろう。小豆の風味の中に、ほのかに黒糖のコクを感じる。それでいながら、あっさりしていて、少しもしつこいところがない。
きっと、水がいいのだ……。福井は日本でも指折りの豪雪地帯だ。雪解け水が山に浸みこみ、長い年月をかけていい水になる。
私は思わず、ヤマメがきらきらと跳ねて身を躍らせる渓流の、ガラスの様に透明な水を思った。澄んだ水で作る水ようかんは、見た目も味も美しい。
三口、四口とスプーンですくって口にいれ、まるで飲むかのように一切れ、平らげてしまった。
これはいける。いくらでも食べられる。これなら、一人で一本、ぺろりと平らげる人がいるというのもなるほど頷ける。私は、「お代わり」を取りに立ち上がった……。
雪のしんしんと降り積もる福井では、お風呂で芯まで温まり、風呂上がりにこたつにあたりながら、この冷たい「でっち羊かん」をつるーんと食べるという。雪深い国の、真冬の甘い贅沢である。
© 2003-2014 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.