身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2015年1月―NO.143

大ぶりなのに、次から次へと箸が止まらず、
いちいち「う、うまい」と、呻いてしまう。

華正樓の「シュウマイ」

 横浜市民のソウルフードといえば、やっぱりシュウマイだろう。「崎陽軒のシウマイ弁当」で育った私にとって、あの折りの中に並んでいる五個のシウマイは、舌に馴染んだ心の味である。
 けれど、よその地方へのお土産や贈りものとしてシュウマイを選ぶ時には、大ぶりで食べ応えがあり、横浜中華街という全国的なネームバリューもある「華正樓のシュウマイ」を贈る。
 昨年、青森の親戚に華正樓のシュウマイを送ったところ、これがすこぶる好評だった。お礼の電話の、
「いやぁ~、おいしかったー!あんまりおいしくって、みんなでアッという間にいただいちゃったぁ~」
 という高揚した声から、それが義理やお世辞ではなく、心から言ってくれていることが伝わってきた。こんなふうに喜んでもらえるなんて、なんと贈り甲斐があるのだろう……。こちらまで心がうきうきと弾み、久々に華正樓のシュウマイをわが家の夕餉のお膳にのせることとなった。
 白地に龍の絵のついた華正樓の包装紙をほどく。すると、紙蓋に「横浜中華街 華正樓」と印刷されていて、その脇に、
「焼売の美味しい召し上がり方」
 という二行の注意書きがある。一行目は、セイロか御飯蒸器で十五分くらい蒸して食べる旨が書いてあり、二行めにこう付け加えられている。
「電子レンジのご使用は、大変風味をそこないます」
 私は目でこの文を繰り返しなぞった。「大変風味をそこないます」という言い回しが、なんだかとても感じいいのだ。
「電子レンジのご使用はお控えください」というだけのストレートな禁止ではなく、丁重にへりくだりながらも、強く念を押している。ただ「風味をそこないます」ではない。「大変風味をそこないます」というのだ。いいなぁ、この余韻……。
 そういえば、江國香織さんの短編集に、好きなタイトルがあった。
『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』
 この題名が好きだった。「遊泳禁止」の四文字は頭ごなしで、余韻も奥行きもないが、英文の看板を直訳したこの言葉には、どことなく、(あなたが泳ぐのは自由だが、ここは安全じゃないし、泳ぎに適していないことは言っておくからね)的な、不思議な余韻がある。
「電子レンジのご使用は、大変風味をそこないます」というシュウマイの紙蓋の注意書きは、どこかそれに似ていた。
 さて、華正樓のシュウマイを、風味をそこなうことなく美味しく食べるのにうってつけの道具が、うちの台所の天袋に入っている。セイロである。中華街のメインストリートにある調理器具店、照宝のセイロだ。
 三十年も使い込んだ古いものだが、丸い木枠で、底は竹のすのこ状。蓋も竹で編み込んである。大きな鍋にたっぷりの湯を沸かし、十分に湯気があがってから照宝のセイロを載せて肉まんやシュウマイを蒸す。中華街に行くと、通りに面した店の軒先で、セイロを何重にも重ねて、肉まんを蒸しているのをよく見かける。竹を編んだ蓋の隙間から、白い湯気がもうもうと吹き上り、ほのかに甘く温かい匂いがあたりに漂っている。
 セイロで蒸すと、中までまんべんなく熱が回って、肉まんの皮はふかふかと蒸し上がり、まるで風呂上がりの布袋様が上気したように見える。シュウマイは肉汁をたっぷりと含んで、おいしくふっくらと蒸しあがる。
 けれど、セイロで蒸し上げるには鍋のお湯が煮立ってから十五分以上と、電子レンジに比べてちょいと時間がかかる。それが面倒くさいからと天袋のセイロを出さず、電子レンジでチンしたことは、私も二度や三度ではない。スイッチを押すだけで、あっという間にできあがるが、電子レンジの熱は、チクッと刺すように鋭く、そのくせ肉まんの深部が一点、コチッと冷たかったり、シュウマイが少し縮んで、肉汁が受け皿にたまっていたり、まさしく、大変風味をそこなったのだった。美味しく食べるには、やはりちょっとした手間を惜しんではならないのだ。
 天袋から久しぶりにセイロを取り出した。お湯のぐらぐら煮たった鍋の上に重ねて、華正樓のシュウマイを並べ、蓋をした。お湯がぐらぐら煮立ち、セイロの蓋の隙間や竹の網目から白い湯気が上がってからたっぷり十五分……。充分に蒸したところをセイロのまま皿に載せて、食卓に出した。パッと蓋をとると、中に並んだシュウマイは、ふくふくと幸せそうに蒸しあがって、半透明の皮の向こうにきれいな肉色が透けている。
 箸で一つ挟んで、辛子を溶いた醤油にチョイとつけ、口に運ぶ。
「おおっ……」
 この肉感はどうだ……!ものすごい肉の充実感。豚肉のうまみがギュッと濃く、甘い。滴る汁も透明で、湯気が豊かで温かい。どこかかすかに鼻をくすぐるのは、カニや干し貝柱の風味であるが、前面に出ることはなく、あくまで主役は肉である。
 大ぶりなのに、次から次へと箸が止まらず、いちいち「う、うまい」と、呻いてしまう。少しも風味がそこなわれることなく、幸せをかみしめた晩御飯がそこにはあった。

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