2015年6月―NO.147
しめ鯖の瑞々しさと、ほんのり甘い米とのバランス、柿の葉の香り……。
柿の葉すし本舗の「柿の葉すし」
2013年秋から放送されたNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」は、いいドラマだった。大正デモクラシー華やかなりし時代、東京の洋食屋の娘に生まれた食いしん坊のヒロインめ以子が、結婚して大阪に行き、持ち前の前向きな精神で家族の抱える葛藤と向き合い、三人の子を産み育て、戦中戦後の混乱をたくましく生き抜く物語だった。
毎回、物語をつないでいるのはオムライス、スコッチエッグ、牛すじカレー、イワシのつみれなどの料理で、その料理の数々はレシピブックとして書店に並んでいる。
「ごちそうさん」が放送されていた頃、わが家ではちょうど母が腰を痛めて台所に立てなくなり、代わって慣れない私が料理を担当するようになった時期だった。私にとって台所が日々大きな位置を占めるようになっていたので、ヒロインめ以子が料理の腕を磨いていく物語に思わず身が入り、教えられることも多かった。
たとえば、「おつい」(おつゆ)の出汁の取り方である。大阪は薄味で、昆布だしが基本。め以子は、嫁入り先の家庭の味に近づけるために、ありとあらゆる昆布を使い、様々な出汁の取り方を工夫するが、どうしても家族から「おいしい」と言ってもらえない。
思いあぐねていたある日、飲んで帰ってきた夫が、偶然にヒントをくれる。一升瓶を片手に台所に入ってきて、
「安酒のくせにな、昆布で上等酒に化けよるんや」
と、茶碗に酒を注ぎ、傍らにあった昆布を千切ってその中に浸したのだ。その茶碗酒を鍋で燗して一口味わっため以子は、
「これ、近づいてる……」
と、つぶやく。それをきっかけに彼女はさらに試行錯誤を重ね、ついにある方法を探り当てる。それは、「昆布にお酒をサッと塗って、小さい火で炙って、それで出汁をとる」という方法だ。
その出汁で作った「おつい」をすすった瞬間、ドラマの中で婚家の義母や妹がしみいる様に目を閉じ、「うちの味や」と、幸せそうに微笑む様子が、そのおいしさを何よりも物語っていた。
私も作ってみたくてたまらなくなった。さっそく台所で、昆布にお酒をサッと塗り、ごくごく小さな火で焦げないようにじっくり炙ってみた。するともうその段階で、昆布の表面から、いかにもおいしそうなオーラが立ち上ってくるではないか。これだけで酒の肴になりそうだった。この昆布を一晩、鍋の中で水に浸し、翌朝そのまま火にかけた。淡い飴色の出汁が出たところで、薄味のおつゆを仕立て、味わってみた。
水で煮ただけでは出きらない昆布のうまみが余すところなく出て、出汁の深い味が胃に優しくしみ渡った。
酒の効果は絶大である。酒が食材の奥に眠る味を引き出したのだ。以後、私も料理に酒をよく使うようになった……。そんなわけで、「ごちそうさん」は、私にとって、料理の意欲と食欲をそそるドラマであった。
オムライスも牛すじカレーも、その都度、食べてみたくなったが、中でも印象的だったのが「柿の葉寿司」だ。
近藤正臣さん演じる義父・正蔵が、亡き妻の作った柿の葉寿司の味を懐かしむ。家族で柿の葉寿司を持って、遊びに出かけた幸せな思い出があるのだ。め以子は正蔵のために、鯖の柿の葉寿司を作り、正蔵は涙を流さんばかりに喜んで、さっそく食べるが、「こんなもんやこんなもん」と、口では言いながら、どこか反応がいま一つ冴えない。夫も、
「何や、もうちょっとまろやかな味だったような……生寿司はこんな酢が立ってのうて」
と言う。め以子は試行錯誤するがうまくいかない。結局、め以子と折り合いの悪い義姉が正蔵の望むような柿の葉寿司を作って持ってきてくれた。
いやぁ~、実にうまそうだった……。それは清々しい白木の桶に入り、柿の若葉にきちんと包まれ、びしっと行儀よく並んで押されていた。正蔵がいかにもいとおしそうに柿の葉の包みを開いた時、しめ鯖と、ほんのり酢で染まった飯粒が、熟れて馴染んで見えた。その瞬間、私の鼻の奥に、まろやかな甘酢の香りと、柿の葉の匂いが、ふわ~んと過った。
あの日、おそらく日本中に、「柿の葉寿司」を買い求めに走った人がいたはずだ。人を走らせるほど、柿の葉寿司を食べる近藤正臣さんの演技は真に迫っていた。
私もその演技を見ながら、口の中に甘酸っぱい唾液が湧いてくるのをどうしようもなかった。見ているだけで、味の妄想がわき、その妄想でまた唾液が湧いてくる。
……ああ、柿の葉を広げた途端、青い香りが鼻を打ったに違いない。
……酢でしめた鯖のとろんと甘い脂と、角の取れたまろやかな酢に熟れた寿司飯の味が、口の中で混じり合うのだ。
私が妄想したのは、かつて奈良に旅行した時、帰りに買って新幹線の中で食べたあの味だ。奈良・五條に本店のある「柿の葉すし本舗たなか」の柿の葉すしである。具は、鮭や鯛もあったような気がするが、やはり鯖が一番好きだ。しめ鯖の瑞々しさと、ほんのり甘い米とのバランス、柿の葉の香り……。
私はその日、矢も楯もたまらず、都内のデパ地下に走った。
© 2003-2015 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.