2015年10月―NO.151
うまい……。
私が小学生の頃に食べたコロッケパンが、まさにこんな味だった。
キャッスルの「コロッケパン」
キャッスルの「コロッケパン」 |
コッペパンはふわふわで、コロッケは大きく、衣にはソースもたっぷりついている。
うまい……。
私が小学生の頃に食べたコロッケパンが、まさにこんな味だった。
キャッスルの「シナモンロール」 |
「のりこ~、おべんと~」
と、走ってくる母の声がした。
今では嘘のようだが、そのころの私は食が細く、やっせぽちだった。母は私が少しでも食が進むよう、お弁当を工夫してくれた。ご飯にタラコをまぶしたり、海苔と削り節を交互に層にした海苔弁当にしたり、時にはちらし寿司のように錦糸卵をまぶしてくれた。おかずは、シラスを混ぜた卵焼きや、野菜の炒め物、手作りハンバーグや鶏の唐揚げなど、いつも数種類のおかずが入っていた。時おり目先を変えて、太巻き寿司や薄焼き卵でご飯を巻いた卵巻きご飯や、手作りハンバーグを全粒粉のパンで挟んだハンバーガーも作ってくれた。
昼休み、母が包んでくれた大判のハンカチをほどいてお弁当の蓋をあけると、決まって、前の席の男の子が、くるりと椅子に後ろ前に跨って背もたれを抱え、私のお弁当を見た。うかがうような上目づかいをする小柄な男の子で、なぜかいつも炭小屋から出てきたみたいに、鼻の下の産毛が薄黒く見えた。私のお弁当に顔を近づけ、じーっと見て、
「森下の弁当、いつもうまそうだなぁ」
と、言った。
彼はほとんどお弁当を持ってこなかった。家が商売をしているから、お母さんは朝から忙しく、弁当を作る時間がないのだと言っていた。その代わり、お昼代をもらって、校門の横のパン屋さんでパンを買ってくる。私の弁当をじーっと見ながら、彼はパン屋さんの白い紙袋からごそごそと取り出したパンにかぶりつく。それはたいてい、焼きそばパンか、コロッケパンだった。
私は、そのコロッケパンが食べたくてたまらなかった。母のお弁当に箸をつけながらも視線は、彼が目の前で食べているコロッケパンから離れなかった。揚げ油の香ばしい匂いと、ソースの香りが漂ってくる。褐色のソースが浸みたコロッケの甘辛さや、コッペパンに挟まってしなっとした千切りキャベツの食感、ジャガイモとソースとコッペパンが混じり合う味を想像する……。食べたくて、喉から手が出そうだった。
たまにはパン屋さんで好きなパンを買って食べてみたかった。彼は自分が食べたいパンを買ってくる。その自由が欲しかった。
しかし、パン屋のコロッケパンが食べたいからお弁当はいらないなんて、とても母には言い出せなかった。子ども心にも、それは母に対する背信行為のような気がしたからだ。
時々、「お母さんが寝坊してお弁当作れなかったから、今日はパン買ってきた」という子もいるのに、うちの母がお弁当を作らない日はなかった。
「買い食いはだめ」
と、言われていた。
「売ってるものより、うちで手を掛けて作ったものの方がおいしいのよ」
と、母は私に言い聞かせた。手作りしたものを食べさせるのが母親のつとめ……。母はそれを生真面目に守り、それが誇りでもあったのだ。
「いつもお母さんがおいしそうなお弁当を作ってくれて幸せよね」と、同級生のお母さんからもよく言われた。私は頷いて微笑んだけれど、心の中で「買い食い」というものに猛烈に憧れた。
あれは小学三年か四年生の冬のことだ。ある日、母が風邪で高熱を出した。母が寝込むなんて、数年に一度、あるかないかだった。母は私を枕元に呼んだ。
「お金あげるから、今日だけは何か買って行ってちょうだい」
私は内心、しめた!と思ったが、もちろん顔には出さず、「うん、わかった」と神妙に頷いた。もらった硬貨を握りしめ、行ってきますと家を出てしばらく歩くと、コロッケパンを買えるんだという胸の思いが膨らみ、羽ばたくような自由を感じた……。
その日のお昼休み、私は、いつも前の席の男の子がするように、パン屋の紙袋からコロッケパンを出して、かぶりついた。柔らかいコッペパンに挟まったコロッケは冷たかったが、その冷たさもおいしかった。衣にたっぷりかかったソースがコッペパンにも移り、甘辛い香りが鼻腔をくすぐった。私は夢中で頬張りながら「コロッケパンなら何本でも食べられる!」と思った。
それは自由の味がした。いつもお弁当を作ってくれる母への、小さな後ろめたさの入り混じった自由……。あの日のコロッケパンの味を、私は今も忘れない。
© 2003-2015 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.