身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2016年2月―NO.155

「酢味噌」と「からし酢味噌」さえあれば、
なんだか野草を食って生きていけそうな気がする

マルサンの「酢味噌」と「からし酢味噌」

わけぎ
わけぎ
 小学校の時、学校のグラウンドの隅で、
「あ、ノビルだ!この根っこ、食べられるんだよ」
 と、同じクラスの宮田さんが言った。彼女は学年でもリーダー的な存在だった。
 「ノビル」と呼ばれたその草は、ニラのようにすいーっと細長く、見回すと、グラウンドのあちこちに生えていた。
「こうやって根っこごと取るの。途中で草が切れないように抜かないと、根っこが取れないからね」
 宮田さんはそう言って、まわりにいた子たちにノビルを抜いて見せてくれた。彼女が草をつかんで引き上げると、草の根元の土がひび割れながらモリモリと持ち上がり、ズボッと根ごと抜ける。その土を払うと、ラッキョウのようにぷっくりとした白い球が現れた。
「ほら、ここがお父さんのお酒のおつまみになるの」
 彼女が私たちに向けて突き出した白い球根に、みんなてんでに鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。ネギやニンニクの親戚らしい匂いがツンと香った。
 戦争中、草の根っこを食べたという話は聞いたことがあるが、それは私たちの両親や祖父母の時代のことだ。宮田さんが誰からノビルの食べ方を教わったのか知らない。けれど、まわりにいた子たちは、摘んでいたシロツメクサを放り出し、いっせいにノビルを抜き始めた。ところが、途中で草が千切れて、球根ごと抜くことができない。
「もっとゆっくり引っ張るの……。そうそう」
「草が切れないように、根っこから、ゆっくり……そうそう」
 宮田さんはノビルの抜き方を教えるのが上手だった。私たちは彼女に教えられたようにやってみた。すると、地中で根っこがメリメリと切れる手ごたえがわかる。土がムクムク盛り上がり、ズボッと抜ける。
「あ、できた!」
 その瞬間、コツがつかめた。地面の下の根っこに思いをやりながら、じんわりと根ごと引き上げるつもりで草を抜くのである。
 俄然、面白くなった。夢中になって次々にノビルを抜いた。「お父さんのおつまみ」はどうでもよかった。ただひたすら、手ごたえが楽しかったのだ。あの時私は、子ども心に「土の歓び」を知った気がする。
 家に持ち帰ったノビルを、母は水で洗って、小さなラッキョウのような球根に、生のまま味噌をつけて食べさせてくれた。ガツンと来る辛みが子供向けではなかったけれど、味噌とよく合う味だった。
 その小学校時代に体得したノビル摘みの歓びを、私は還暦になろうという今も、春が来るたび思い出す。わが家の庭は、車一台分ほどのささやかなものだ。が、その先が崖になっていて、その斜面は南向きで日当たりが良く、春になると様々な雑草が生える。温かい雨が降り、そろそろ虫や蛙が蠢きだす頃、私は矢も楯もたまらなくなり、長靴をはき軍手をして、崖を降りていく。
 斜面のそこここには水仙の花がうつむいて咲き、あたりに清潔な香りがただよっている。ふと見ると、クコの若葉が芽吹いている。クコは、赤い実が漢方薬になるが、実は、若葉がうまい。これを放っておくと、間もなく虫に食われて茎だけになってしまう。(虫はおいしいものをよく知っているのだ。)だから、虫より先に、まだ軟らかい若葉を指先でつまんで採り、両の掌いっぱいになるほど収穫する。 
 そして、ノビルである……。キノコを探すうちに目が慣れて、あっちにもこっちにもキノコが見えるようになることを「キノコ目」というそうだが、ノビルも目馴れてくると、そこらじゅうに見えてくる。太く育った茎を選んで、宮田さんが教えてくれたように、根っこから引き抜く。土が固くしまって抜けない時は、シャベルを茎の周りに差し込んで、土を起こし、少し緩めてから抜くと良い。
 大きな球根が採れると嬉しい。春の気配を感じながら、斜面で三十分もしゃがんでいると、ザルいっぱいのノビルが収穫できる。
 ついでに、菜の花も摘む。花が咲く前のまだ蕾の状態がいい。これだけあれば、私の食卓は豊かになる。
 まず、クコの若葉はザルの中でよく洗って茹で、水気を切って鰹節をまぶし、醤油をかける。すると、ほろ苦さの中に旨みがあって、体中の血が新鮮になるようなさわやかな味がする。
 ノビルは洗って、硬い葉は取り除き、さっと茹でる。これをワカメと一緒に酢味噌で和えて「ぬた」にすると、野性味ある刺激が、冬の鈍った体を思いきり蘇らせてくれる。
マルサンの「酢味噌」 菜の花の蕾は、ざぶざぶ洗って、さっと茹で、イカ刺しかあさりの剥き身などとからし酢味噌で和えると、これがうまい。その食卓に、崖に咲いていた水仙の一輪も飾れば、もう何も言うことはない。
 だから、春になって、ノビルを摘む頃になると、私はマルサンの「酢味噌」と「からし酢味噌」を買っておく。自分で調合すると、時々酢がきつかったり、物足りなかったりするが、この「酢味噌」と「からし酢味噌」は私の舌に合う。
マルサンの「からし酢味噌」 数年前、土手に生えた草を「お浸し」や「ぬた」にして散々食べた。そして、久々に八百屋で買った青菜を口にした時、味がしないので愕然とした……。それほどまでに、芽吹いた草の味には覇気があるのだった。
 私はこのごろ、「酢味噌」と「からし酢味噌」さえあれば、なんだか野草を食って生きていけそうな気がする。

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