2016年8月―NO.161
これはうまい。大人向けの餡子だと思った
花こうろの「こぼれおはぎ」
こんな風に包まれて… |
NHKの朝の連続ドラマ「トト姉ちゃん」に、こんな場面があった。戦争末期の昭和二十年三月十日。その晩、小橋一家は、やっと手に入れた小豆を七輪で煮ていた。明日は、久しぶりにおはぎが食べられる……。末っ子の美子などは、もう夢見心地だった。
ところが、その晩、東京は大空襲に見舞われた。翌朝、何とか生きて防空壕を出てみると、七輪の残り火で、小豆は真っ黒に焦げていた。
戦争中の暮らしを描いたドラマや映画には、しばしば「おはぎ」が登場する。二〇〇八年九月に本欄に書いたが「紙谷悦子の青春」という映画では、メインのシーンにおはぎが登場していた。
甘いものが溢れる時代に育った私たちには、当時の日本人のおはぎへの憧れなど到底理解できないが、それでもお彼岸が近づくと、今年もおはぎを食べる機会がやってくる……。
花こうろの「こぼれおはぎ」 |
「このお店のおはぎ、餡子がすごくおいしいのよ」
すごく、という声に力がこもっていた。
夕ごはんを食べ終わってからお茶を入れ、叔母のお持たせをいただいた。おはぎと聞いたから、てっきり、箱の中に俵型の餡子が並んでいると想像していたが、手提げ袋から出てきたのは、半透明のビニールに包んで、口をちょっと捻っただけのもの……。
商品名は、「こぼれおはぎ」。萩の花が、はらはらとこぼれ落ちたような美しい名である。
そういえば、「おはぎ」と「ぼたもち」は同じもので、牡丹の咲く春のお彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には、萩の花にちなんで「おはぎ」と呼び名を変えたものだと聞いた。
こぼれおはぎは、その名の通り、こぼれんばかりの粒餡の赤紫色が半透明のビニール越しに見えた。皿に移そうとしたが、いや、このままの方が食べやすい。包装のままスプーンで掬っていただくことにした……。
スプーンで掬って口に入れ、餡を噛みしめた時、ハッとした。餡子の風味が実にすっきりと立っている。さらりとした粒餡で、粒に皮に、コクとうまみを感じる。
(ほんとだ……)
叔母が言った通り、これはうまい。大人向けの餡子だと思った。
それにしても、おはぎをスプーンで食べるのは新鮮だった。ビニールの包装ごと手のひらに載せ、スプーンで掬って食べるときれいに食べられる。
「こうすると、食べやすいね」
そう言いながら、ふと、いつだったか友達のサトミさんから聞いた子ども時代の「おはぎのトラウマ」を思い出した……。
ずんだバージョン |
おばあちゃんは、息子一家の来訪を待ち焦がれていただろう。初めてやってくる小さな孫娘のために、腕を振るったご馳走を重箱に詰めて待っていた……。
「サトミちゃん!」
茶の間で呼ばれて振り向くと、おばあちゃんに手をぐいとつかまれ、
「ほーれ、一つ食べ」
と、手のひらに何かをドテッと握らされたそうだ。見ると、真っ黒い大きなものが素手に載っていた。
「……!」
サトミさんはギョッとした。泥団子かと思った。キャッと声を上げそうになった時、お父さんが、
「サトミ、おばあちゃんのおはぎは絶品だぞ」
と言いながら、自ら重箱に手を伸ばし、おはぎを素手で掴んで食べ、
「あー、やっぱり、お袋のおはぎはうまい!」
と、大きな声で言ったそうだ。
家では、おにぎり以外、ものを手づかみで食べたことがないお父さんが手づかみでおはぎを食べる姿を見て、子供心に(こうしなさい)と、無言で指示された気がしたという。
とにかく食べなくてはいけない。べたべたと指についた餡子を懸命に舐めたが、舐めてもまた餡子が指につく。餡子にまみれたごはんも夢中で頬張った。正直、「やった!」ということしか覚えていないそうだ。
大きなおはぎ一個をやっと平らげた時、(終わった……)と、ホッとしたという。べたべたになった手を早くどこかで洗いたいと思っていると、
「サトミちゃん!」
と、呼ばれた。振り向くや、おばあちゃんの笑顔がまた迫ってきて、ぐいっと手を取られた。
「遠慮しないで、も一つ食べ」
また、泥団子を握らされたのだそうだ。
「泣きたかったわ……。でも、残したらいけないと思って、一生懸命食べたわよ。それ以来、おはぎがトラウマになった」
聞いた時は笑ったけれど、子どもなりに、祖母と父に気を遣い、涙こらえて必死におはぎを頬張ったのだろう。
今度、サトミさんに、この「こぼれおはぎ」を教えてあげよう。きっとトラウマが解けると思うから……。
© 2003-2016 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.