2016年9月―NO.162
口に入れると、アーモンドの風味が香り、
「サクサクサクサク」 「パリパリパリパリ」
と、実に心地よい音が頭蓋骨に響く。
レーヴドゥシェフの「シューラスク」
あれは何歳の時だったろう……。幼いころ、父の背に負われ、花火を見に連れて行かれたことがあった。風の吹き渡る土手で、
「典子、見えるか?」
と、問う父の声がした。
「うん……」
背負われている広い肩越しに、夜空がパッと明るくなり、ドーンという音と同時に歓声が上がった。父は私を喜ばせてやろうと懸命だったのだろう。
が、実はその時、私は花火には目もくれず、父の背中で、別のものに憑りつかれていた。
途中で買ってもらった袋入りのお菓子である。それは食パンとよく似た姿形をしていたが、幼い私の掌ほどの小ささで、板きれのように硬く乾いていた。表面には、淡い黄色のクリームのようなものがまんべんなく塗りつけてあるが、そのクリームも乾いていて、指で触ってもべたつかない。かすかに甘くバニラの香りがした。
一枚、そっと口に入れた瞬間、こんがり焼いたトーストの香ばしさがフッと香るが、口触りはゴチッとしている。歯を立てて思いきり齧ると「バリッ!」と派手な破砕音がして、それから
「ゴリゴリゴリゴリ」
「ザクザクザクザク」
という音が、頭蓋骨に直に響いた。
私は夢中になった。元々、硬く乾いたものに歯向かい、噛み砕いて食べるのが好きだった。噛み砕いている間、この世は、頭蓋骨に響き渡る音に占領される。ゴリゴリ、ザクザクと頭蓋骨に響く音は、痛快であり、快感であり、音もまた味だった。
ドーン、ドーンと音がして、夜空が昼のように明るくなり、「わぁー!」と、あたりに歓声が上がっても、父から、
「ほら、きれいだろ」
と、声をかけられても、私は「うん」と、気のない返事をし、袋に手を突っ込みながら、ひたすら、
「ゴリゴリゴリゴリ」
「ザクザクザクザク」
という音に耽った。
(花火の夜、父の背中で食べたあのお菓子。あれは、何というお菓子だったのだろう?)
やがて、父の背中で眠ってしまったせいか、花火もお菓子も、どちらも半分夢の中の出来事のように思えた。時々、あの板のように硬い表面に塗ってあったクリームの淡い黄色や、ほのかなバニラの香りを思い出すのだが、名前がわからないまま歳月が過ぎ、やがて忘れてしまった。
その音の快感を思い出したのは、高校生の時だった。ある日、仲のいいクラスの友だちの家に遊びに行って、お母さんの手作りのお昼ご飯をごちそうになった。洒落たおうちで、ダイニングテーブルには刺繍のテーブルクロスがかかって、カップもお皿も、おそろいの洋食器だった。
おいしそうなコーンポタージュスープが出て来た。さあ、いただこうと思った時、お母さんが突然、
「あ、いけない。ちょっと待ってて。せっかくクルトン作ったのに忘れてたわ」
と、キッチンに入って行った。
(クルトンて、なんだろう?)
やがて、お母さんはテーブルの上にボウルを置いた。それには、こんがりと褐色に焦げた小さなサイコロ状のものがたくさん盛ってあった。
「どうぞ、スープに入れて」
「……はい」
クルトンとは、パンを賽の目に切って揚げたスープの浮き実であった。ボウルに添えられたスプーンで掬い、コーンポタージュに浮かべた。
とろりとした黄色いスープにプカプカと浮かんだ褐色のクルトンは、猛烈に食欲をそそった。クルトンの浮かんだスープを口に入れると、コーンポタージュの優しくマイルドな味の中に、かすかな脂の香りと、焦げたトーストの香ばしさが混じった。
その小さなサイコロを噛むと、
「カリカリカリカリ」
「サクサクサクサク」
と、乾いた音が、頭蓋骨の中に心地よく響き渡った。
(あっ、この食感……)
香ばしさをまとった音の快感と一緒に味わうコーンポタージュはたまらなくおいしくて、私はその日、幾度もクルトンをおかわりした。
その後、「ラスク」というお菓子が流行り始め、私は花火の夜のお菓子が、それだったことを二十代になってやっと知った。
ラスクは元々、固くなったパンを二度焼きしたものだそうだが、最近、私が気にいっているのは「シュー・ラスク」。洋菓子屋さんがシュークリームの皮の壊れたものをラスクにしたまかないおやつで、「職人のおやつ」という粋な名がついている。
口に入れると、アーモンドの風味が香り、
「サクサクサクサク」
「パリパリパリパリ」
と、実に心地よい音が頭蓋骨に響く。
© 2003-2016 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.