2016年10月―NO.163
かつて遊郭からの注文も受けていたという店だ。
花魁たちも、この菊最中を味わっていたことだろう……。
二葉家菓子舗の「菊最中」
「吉原へ行ってください」
と言うと、
「は?……千束ですか?」
と、聞き返された。
「遊郭のあった吉原です」
「吉原と言っても、今はねえ……。吉原大門ていう交差点がありますけど、そこでいいですか?」
江戸時代から歓楽街として賑わった「吉原」という地名は、もうない。現在の住所では、台東区千束三丁目から四丁目あたりだという。
吉原大門の交差点で車を降りると、あたりには老舗の蕎麦屋と、「馬さし」の提灯の下がった店があるだけで、かつての日本一の色街の面影はない。贅をつくした郭が夜を照らし、花魁道中で賑わったという桃源郷には、今はマンションとソープランドがポツン、ポツンと並んで、昼間は人通りもほとんどなかった。
仲之町通りにある吉原神社のすぐ向かいに、「二葉家菓子舗」という下町らしい風情の和菓子店があった。小さな店の中に入ると、薄暗い壁に花魁道中のイベントの写真が飾られていた。年季の入った商品ケースを覗くと、練切りと最中が見える。菊の模様の皮の間に、あふれるほど餡子を挟んであり、「菊最中」と書いてある。
「これください」
この店は、かつて遊郭からの注文も受けていたという店だ。花魁たちも、この菊最中を味わっていたことだろう……。
「十八代目中村勘三郎さん急死」というニュースで日本中にショックが広がったのは、四年前の師走だった。その数日後、何気なくテレビをつけたら、勘三郎さんの追悼ドラマを放送していた。浅田次郎の同名の小説をドラマ化した『天切り松 闇がたり』だ。
その日、テレビをつけたまま、仕事机に向かったのだが、流れて来る物語のあまりの面白さに吸い寄せられ、テレビの前に腰を据えて見入ってしまった。勘三郎さん演じる主人公・松蔵は、大正、昭和、平成と盗人稼業に生き、「天切り松」の異名を持つ老人である。彼は警察の雑居房にも出入り自由で、警察の関係者に一目置かれる存在だ。「天切り松」が深夜の雑居房にやってくると、房の中にいる人間も、外にいる警官も、彼の話を聞きに集まってくる。すると、彼は「闇がたり」という六尺四方より外には声が漏れない夜盗独特の声で昔語りを始める……。
それは、政府要人の金時計や軍人の勲章など、天下のお宝ばかりを狙い、弱い者貧しい者の味方をしてきた義賊一味の、江戸っ子の意地と誇りをかけた痛快活劇である。そして、盗人になるしか生きる道のなかった人間の悲惨な半生記でもあった。
貧しいけれど、人間が実に人間らしく懸命に生きていた時代の物語に胸がいっぱいになり『天切り松 闇がたり』は、忘れがたいドラマとなった。
その時、原作を読みたいと思ったが、日々の雑事に追われて、何となく機会を逸したまま時が過ぎていた。そして、つい先日、ふと思い立って『天切り松 闇がたり』シリーズの第一巻『闇の花道』を買い、その日、一気に読み終えた。
ほんの数ページ読んだところで、脳内シネマが生き生きと動き出し、思わず鳥肌がたった。松蔵の親分である「抜け弁天の安吉」、松蔵の兄貴分「黄不動の栄治」、女スリの「振袖おこん」など登場人物が、目の前にはっきりと現れた。彼らにはカネより、命より大事なものがある。意地と意気地の極地である。小説を読んで鳥肌が立ったのは何年ぶりだろう。「惚れた!」と思った。そして、惚れたと思えるものがあるというのは、なんと幸せなことだろうと思った。
この本の中で、どうしても涙なくしては読めなかった部分がある。松蔵の姉の物語だ。「白縫花魁」と「衣紋坂から」の章を、私はタオル片手に読んだ。
松蔵がまだ幼いころ、母は胸を病んで死に、器量良しの姉は一四歳で、父親によって吉原の角海老という大店に売られる。
姉はのちに売れっ子の花魁となるが、幾重にも借金を負わされ、生涯、吉原から抜けられない身の上となっていた。それを知った松蔵は、姉を助けようと、親分や兄貴分の力を借りてやっと姉の身請けに成功するが、すでに姉は病で余命いくばくもなく、松蔵に背負われて吉原大門の外へ出たけれど、弟の背中で息を引きとる。
松蔵は、姉を弔うカネもなく、泣きながら「投げ込み寺」と呼ばれる三ノ輪の浄閑寺に向かう。その姉の美しさと悲惨と、降りしきる雪の景色が見えるのである。
家に帰って、お茶を入れ、買ってきた菊最中を齧りながら、また『天切り松 闇語り』を読み返した。
初めて姉の花魁道中を見た松蔵が、「ねえちゃん、ねえちゃん!」と、叫びながら号泣する場面がある。菊最中は甘い……。けれど、胸は痛かった。
© 2003-2016 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.