身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子

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2016年11月―NO.164

菓子器を開けると、白とグレーの地味な生菓子である。
けれど、菓子楊枝で切った途端、
「わぁ!」と、灰に埋もれた奥の火に歓声が上がった。

田町梅月の「埋み火」

 電子レンジやクッキングヒーターで料理をし、エアコンやヒーターで暖を取る今の時代では、赤々と燃える「火」というものを目にすることはない。まして、「炭火」なんて、バーベキューでもしない限り、お目にかからないだろう。
 私が炭火の魅力を初めて知ったのは、お茶を習って、「炭点前」というものを見るようになってからだ。亭主が湯を沸かすために、種火に炭を次ぐ炭点前を、客たちはそばへ寄って、じっと見つめる。
 炭火の色は美しい。
「パキ、パキ」
 と、時おり乾いた金属的な音を立てながら、溶鉱炉のように赤々と燃えて、やがて燃え尽きると、そのままの姿でほろほろと白くなっていく。まだ燃え残る炭の黒と、燃え尽きて白くなった灰、その奥で赤々と燃える火……。
 じっと見ていると、見ている自分の心の奥でも、何かが燃えているような気がして、体が温かくなってくる。それは冬の茶席の一つの「ごちそう」である。
 その炭火の美しさを思い出すのが、十一月初めの「炉開き」の時だ。炉開きの「炉」とは、茶室の畳の一角にくり抜かれた約四十センチ四方の囲炉裏のような穴である。毎年五月から十月末まで「炉」は閉じられ、畳の下に隠れて見えないが、十一月初め、模様替えをして、茶室のある部分の畳を夏用から冬用に入れ替えると、そこに四角い穴が出現し、炉が開く。
 十一月から翌年四月末まで、その炉の中に灰を入れ、炭火を起こし、釜をかけ、湯を沸かす。
 初めて「炉」を見た時、畳敷きの和室の真ん中で火を燃やし、湯を沸かす光景に驚いたものだった。だけど、炭火やお釜から上がる白い湯気で、冬の茶室は温かい。つまり、炉は、給湯と暖房を兼ねているのだ。
 今年も炉開きのために、先日、何人かで、大掛かりな模様替えを行った。炉が開くと同時に、お茶の道具は何もかもが変わる。
 お茶碗は、お湯の温度が冷めにくいよう、深い形のものになり、釜の湯を汲む竹製の柄杓も、夏用のものより一回り大きくなる。お菓子を入れる菓子器は、触った瞬間に冷たさを感じる焼き物から、軟らかい温もりを感じる漆器に変わり、床の間を飾る花入れは、涼し気な竹籠から焼き物に変わる。
 炉で燃やす炭は、夏の風炉より大きな火力が出るよう格段に太くなり、香は白檀の香木から練り香に、香合は塗り物から焼物に。火箸も、炭籠も、何もかも夏用から冬用へと改まる。
 そして、抹茶も新茶に変わる。「新茶」というと、普通は五月の茶摘みの季節を思い出すが、抹茶は五月に収穫した茶葉を加工して、茶壺に詰めて封印し、半年寝かせる。その半年寝かせた茶壺の封を切り、その年に採れた茶葉の抹茶を初めていただくのが十一月。ちょうど、ワインの新酒ボージョレーヌーボーが解禁になる頃だ。封を切った新しい抹茶は、目にも鮮やかな緑で、これで点てたお茶を練ると、たちまち鼻の付け根を打たれたように、香りを感じる。
 茶人には「正月」が二度あると言われる。一月の最初の稽古は「初釜」」と呼ばれるが、その二か月ほど前に、もう一つ「茶の正月」があるのだ。それが炉開きである。しつらえも新たになり、床の間の花入れには、冬の花の女王、椿が飾られる。
 白い椿のつぼみが玉のようにふくらんで、濃い緑の艶やかな葉に、朝露がついているのを一枝……。それは、初釜のようにお料理やお酒でお祝いすることはないけれど、なんだか空気までぴんと張りつめて瑞々しく、凛とした始まりを感じさせる。
 さて、そんな炉開きの日のために、上生菓子を探していたら、静岡県浜松市にある田町梅月という老舗のブログに、
「冬の上生菓子」
 という美しい写真が載っていた。それは、白いそぼろ状のきんとんで、そぼろとそぼろの隙間から、芯にある朱色の餡がかすかに見える。
 銘は「埋み火」。埋み火とは、火鉢などの灰の中に炭火を埋めておくことで、こうやって火種を温存しておくと、必要な時にまた火を燃え上がらせることができるのだ。
 また、胸の内に秘めた情熱を「埋み火」と表現する。
「炉開きの日に、この『埋み火』という生菓子を使いたいんですが……。横浜まで送っていただけますか?」
 と、田町梅月に電話すると、
「わかりました。冷凍でお送りします」
 と、快く応じてくれた。
 お菓子のデザインについても、
「きんとんを白でなく、他の色にすることもできますが……」
 と、言ってくれる。そこで、
「燃えかけた炭火のイメージにしたいので、グレーと白の灰の奥に、赤い餡が見えるようにしていただけますか?」
 と、お願いした。
 炉開きの日、届いた「埋み火」を稽古場に持参して、みんなでいただいた。
 菓子器を開けると、白とグレーの地味な生菓子である。けれど、菓子楊枝で切った途端、
「わぁ!」
 と、灰に埋もれた奥の火に歓声が上がった。
 いよいよ「茶人の正月」である。

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