2016年12月―NO.165
来年こそは是非、情熱的に燃え上がる秋の色で包んだ寿司を味わいたい。
山の辺の「紅葉の柿の葉すし」
もう三十年も前になるだろうか。NHKの天気予報に、倉嶋厚さんというお天気キャスターがいらした。倉嶋さんは気象庁を定年退官してからお天気キャスターに転身したという人で、テレビで拝見するようになった時、すでに六十歳を過ぎていた。
白髪で眼鏡。見るからに堅物で学者らしく、その物腰、語り口から、四角四面な生き方がにじみ出ているようだった。
日本列島付近の気圧配置を指し棒で示しながら、
「明日は、西高東低の冬型の気圧配置で……」
などと解説し、淡々とその日の天気を予報する。けれど、倉嶋さんの天気予報が他のキャスターと違うのは、気象学的なコメントだけでなく、季節や天候を人生になぞらえる一言をぽつっと付け加えることにあった。その一言が、ある時はユーモアに富み、またある時は深くて、しみじみと余韻が残る。私はそんな倉嶋さんの天気予報が好きで、毎日ひそかに楽しみにしていた。
あれは、秋の終わりのある日。いつものように、ご飯を食べながらニュースを見ていたら天気予報が始まった。倉嶋さんは気圧配置の解説の後に、寒くなるとなぜ木の葉が紅葉するのかというメカニズムを説明し、そして晩秋の木の葉の燃え上がるような色についてこんな一言で表現した。
「晩年の情熱は激しいもののようです」
おっ、と思い、画面を見ると、倉嶋さんはいつものようにキチッと一礼して画面が切り変わった。生真面目な学者肌のおじさんが発した思いがけなく艶っぽい一言が、胸に素敵な余韻を残した。
その倉嶋さんに、十四年前、雑誌の仕事でインタビューさせていただく機会があった。すでに、お天気キャスターの現場からは離れていらしたが、最愛の奥様を亡くしてうつ病を患い、それを乗り越えた体験を綴った『やまない雨はない』という本を出版なさったばかりだった。
季節は春。インタビューの後でご自宅のまわりを一緒に散策すると、あたりは花盛りだった。倉嶋さんは、ふと足を止めて、住宅街の塀越しの枝を見上げ、しみじみと、
「たいしたものだなぁ……。時期が来ればこうしてちゃんと花が咲くんだから」
と、つぶやいた。心の底から自然に湧きあがったようなその声を聞いた時、晩秋の紅葉の色を「晩年の情熱」と表現したキャスター時代のセリフをふっと思い出した……。
代金を支払いながら、店の壁に何気なく視線を移した時、一枚のポスターが目に飛びこんできた。
「……!」
それは、朱、橙、黄など、さまざまな色の葉に包まれた柿の葉寿しの写真だった。
なんという色だろう!なんという鮮やかさだろう!まるで絵の具箱のようだ。
(本当に自然の葉っぱかしら?)
店員さんに確かめると、
「はい、そうです。秋に一枚一枚手で摘むんです」
という答えが返ってきた。
黄色にも、菜の花のような明るい黄もあれば、渋みのあるからし色や、緑を帯びたレモンイエローもある。
そして、一枚の葉っぱの中でも、それらが美しいグラデーションをなしていたりする。そういう葉で包まれた柿の葉寿しの詰め合わせは、日本の気候が作り上げたモザイクのように見えた。
大自然は、なんと豊かで多彩な色を作り出すのだろう。それは、春の盛りの花よりも、はるかに強く濃く深い色だった。
「晩年の情熱は激しいもののようです」
という倉嶋さんの言葉をまた思い出した。
(そうか、日本の里山は、季節の終わりにこんなに美しく燃えるのか……)
その時、いつか是非、この紅葉した柿の葉の柿の葉寿しを食べたいと思った。
そろそろ紅葉の話題が出始める今年十月、山の辺に取り寄せの電話をした。ところが、
「今年の予約は九月の初めで全部締め切りました」
「えっ、そんなに早く?!」
「はい。紅葉した葉がもうないんです。作れるものなら、いくらでも作るんですが、なにしろ、自然に色づいた柿の葉を一枚一枚丁寧に摘むので……。それに今年は、色づいた葉が少なったものですからね。また来年、今度は八月中に一度連絡してもらえますか?」
そんなわけで、今年の秋、真っ赤に燃え上がる色の柿の葉寿しを食べることはかなわなかった。代わりにその日は、母と一緒に、慶応日吉キャンパスにある銀杏並木の、黄金色に燃える紅葉を見に行った。
来年こそは是非、情熱的に燃え上がる秋の色で包んだ寿司を味わいたい。
© 2003-2016 Noriko Morishita, KAJIWARA INC.