2018年3月―NO.176
ころんとした楕円形で、かわいらしく、
ひとくちサイズで食べやすい。
私はこのまゆ最中の、
餡子と皮の分量のバランスが好きなのだ。
蜂の家の「まゆ最中」
ちょうど雛祭りの直前だったので、期間限定の「おひなさまのまゆ最中」が店内に並んでいた。繭の形のギフトボックスに入っていて、中に、ひな壇のようにまゆ最中が並んでいる。まるで花畑のような賑やかさである。
まゆ最中の魅力は、何といっても繭の形そのものにある。ころんとした楕円形で、かわいらしく、ひとくちサイズで食べやすい。私はこのまゆ最中の、餡子と皮の分量のバランスが好きなのだ。
はんなりとした優しい色のころんとした繭が、箱の中に並んでいるのを見るだけでファーっと幸せな気持ちになって、一つ、また一つと手が伸びる。
食べやすいだけではない。繭の形は、私にはなんだか、自然の作りだした美しさや安らかさのシンボルのように見える。
昔、蚕を飼育したことがあった。たぶん、自由研究の課題か何かだったのだろう。小学生の弟が、学校から蚕の卵をもらってきた。マッチ箱みたいな小さな紙箱に入っていたが、弟は放り出したまま、すっかり忘れていたようだ。ある日、気が付くと、箱の中で卵が孵って、開けた時には、中で黒い小さな虫がいっぱい動いていた。
それを見た母は、
「せっかく生きてるものを粗末にするわけにはいかない」
と、言い、
「蚕なんだから、桑の葉っぱだ」
と、桑を探しに出かけた。
幸い、まだあちこちに原っぱがあった時代で、近所に山桑が生えていた。母はそれを摘んで戻ってくると、洋菓子が入っていた空の紙箱に桑の葉を敷き、そこに小さな虫たちを移動させた。
蚕の食欲は旺盛で、成長は早かった。黒い小さな虫は、見る見る大きく、白くなった。紙箱が一つでは手狭になって、二つ、三つと増えていった。脱皮し、また成長して脱皮を繰り返しながら、三週間めにさしかかる頃には、体に模様のある白い「お蚕さん」になっていた。
食べ盛りだった。居間にいると、蚕たちが桑の葉を食べる音が、まるで降りしきる小雨のように、
「サワサワサワサワ……」
と、聞こえた。わが家の居間の畳の半分を紙箱が占領し、すっかり蚕小屋になっていた。消費する桑の葉っぱの量が爆発的に増えて、母一人では到底間に合わなかった。
「典子、葉っぱ摘んできてちょうだい」
朝夕、私は空き地にとんで行って、山桑の葉っぱを一抱え摘んだが、すぐに足りなくなった。「サワサワ」という旺盛な音に追いかけられるように、再三、空き地に走った。蚕の食欲との競争だった。
爆発的な食べ盛りが数日続いた後、パタッと食欲が止んだ。そして、白かった蚕の体が青白く透けてきた……。
二日後、ふと見ると、箱の中から蚕たちの姿が一匹残らず消えていた。
「……?」
一体、どこへ行ったのだろう。あたりを見まわして驚いた。本棚と壁の隙間、壁と壁に挟まれた角、積み上げた荷物の間などにくっついて、上半身をゆっくり動かしながら、何やら細い糸を張りめぐらせているではないか。
「あ、繭を作り始めたんだ」
そう母が言うのを聞いた時、私はたくさんの蚕が、まるで申し合わせたようにいっせいに繭を作り始めたことに、強い感動を覚えた。
生きものはある時期がくれば、生まれた時にセットされていた通りの自分の「営み」を始めるようにできているのだ。私は蚕の飼育でそれを見た。
三日後、すっかりできあがった白い繭を、隙間からべリべりと剥がして箱に入れると、四十個以上あった。
白くて固く、コロンとした美しい繭だった。
「このままにしておくと蛾になって、また卵を産むわ。そうなったら大変だから……」
母は、採集した繭を熱湯に入れ、縁側で半日かけてその繭から、見よう見まねで糸を繰り、紙で作った筒に巻き付けた。
その生成り色の絹糸は、その後何年か、縁側の隅の籠に入っていたが、どこへやったのか、結局なくなってしまった。
だけど、蚕を育てたあの数週間は、忘れがたい。私は今でも山桑の、あの強烈な緑の匂いや、蚕たちがいっせいに桑の葉を食べるあの「サワサワ……」という雨のようなひそやかな音を思い出すことができる。
繭は美しい。あのコロンとした平和で安らかなシルエット。繊細な糸でできているにも関わらず堅固で、中を護る自然の設計。そして、表面の艶やかさ……。
私はその形をつくづくと眺め、愛でながら、蜂の家の「まゆ最中」をまた一つ、口に運ぶ。