森下典子 エッセイ

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2003年3月―NO.6

  


「シウマイ弁当」を食べる時、
自分の幸福の配分について、
考えているのかもしれない
崎陽軒の「シウマイ弁当」



崎陽軒の「シウマイ弁当」
(画:森下典子)

 シウマイ弁当を食べる時、私は、おかずやご飯の量を目測しながら、5個のシウマイをバランスよく食べようと工夫する。
 まずは、小さな醤油の容器の蓋を開け、シウマイの上に、チョンチョンチョンと、まんべんなく垂らす。鮪の照り焼きの上にも垂らす。そして、最初に主役のシウマイを一つ食べ、その変わらぬうまさに、幸せをかみしめる。残るシウマイは4個。おかずの最後もまたシウマイでしめたいから、1個は最後までとっておいて、残り3個を、他のおかずの合間に、等間隔に配分して食べる。すると、幸せがずっと続くようで嬉しい。
 鮪の照り焼きも、鶏肉の唐揚げも、主役に劣らずうまい。おかずを一口食べたら、ご飯を一口。またおかずを食べて、ご飯を一口……。 その合間に、時々、漬物や佃煮で、「ちょいな、ちょいな」と、合いの手を入れる。こうすると、中だるみすることなく、最後まで華やいだ気持ちでいられるのだ。
もしかしたら私は、「シウマイ弁当」を食べる時、自分の幸福の配分について、考えているのかもしれない。 最後までとっておいたシウマイを味わった後、おかずの部屋には、デザートのあんずが残る。その甘酸っぱさにちょっと顔をしかめ、それから、ご飯の部屋に一粒残った小梅をコリコリと齧る。
 こうして飯粒一つなく、きれいに空っぽになった箱の中に、小梅の種一つだけ残し、私は再び蓋をして、掛け紙をかぶせ、ひもをかける。
 きれいに包みなおしたシウマイ弁当の空箱の中で、コロコロと小梅の種が転がる音を聞く時、私はなぜだか、自分がとても地道に生きてるような気がする。

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