森下典子 エッセイ

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2003年6月―NO.9

  


驚きだった
こんな水羊羹、初めてだった
やられた!というか、
もう、たまらないのである
たねやの「本生水羊羹」





たねやの「本生水羊羹」
(画:森下典子)

「あー、あー、ちょっと待って!」
 慌てて、包丁で口を抑え、筒の中に押し戻し、食べる分だけ切り取った。
 フロスト硝子の皿の上に小さな水溜りができ、その中に水羊羹がいた。みずみずしく光って、中心部は深い闇だが、角のあたりは薄靄に透けている。
「いただきまーす」
 スプーンで角からすくい取り、ひょいと口に入れた。次の瞬間だ。
「……!」
 口に入れた途端、水羊羹がこう言った。
「ううん、噛まなくて結構よ。今、あたくしの方から、参りますから」
 たちまちトロ〜っととろけて、舌の味蕾にツツ―ッと水羊羹が入ってきたのだ。上品な甘みと、小豆の新鮮な風味が、たちまち脳のシワの奥まで行き渡った。
「……な、なにこれ」
 驚きだった。こんな水羊羹、初めてだった。思わず、目からウロコが一枚、ポロッと落ちた。
「これが水羊羹なんだ……」
 あの、ほどけるような口どけ感は、なんだろう。筒の中で、ようやく四角い形をなしていた液体と固体の瀬戸際のものが、人肌の温度で一気に液体になったようだった。あまりにしどけなく、あまりにみずみずしい。噛まなくたって、向うからツーっとこっちの中に入ってくる。
 私は、男を虜にしてしまう「女」というのは、この「本生水羊羹」のような女かもしれないと思った。こんな女に、胸の中でトローンとされたら、男は、
「こ、これが女というものか!」
 と、心底、感激して、いとおしく思うに違いない。

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