身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子 |
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2004年10月―NO.25 | |||||
「1番」のものを2つながら口にした | |||||
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その前を通ると私は、焼き菓子の優しいぬくもりと、暖かさの奥のほんのりとした甘さに引き寄せられてしまう。鼻につくようなしつこい甘ったるさではない。「匂い」ではなく、「風味」が漂ってくる気がするのだ。 (これは、いい素材を使ってるぞ……) と、思う。その風味はなんだか、黄味のこんもり盛り上がった新鮮な卵や、いい環境でおっとりと草を食む牛の濃厚なミルクから漂ってくる気がするのだ。 売り場のカウンターの上には、試食用に小さく切ったバームクーヘンが楊枝で刺して並べてある。買い物途中の女性客たちが、次々と引き寄せられ、試食に立ち寄る姿は、砂糖に群がる蟻のようだ。 私もその蟻の行列に混じり、「試食」のような顔で「つまみ食い」をする。楊枝をつまんで焼きたての小さな1かけらを口に入れると、思わず、 「うっふん」 と、幸せな鼻息が漏れてしまう……。 バームクーヘンといえば、「結婚式の引き出物」でおなじみだ。「年輪を重ねる」という意味があるから、だという。子供の頃は、あの細かく重なった年輪が不思議で面白く、両親が結婚式の披露宴から帰ってきた晩は、よく、年輪の層を丁寧に一枚一枚剥がしながら食べたりしたものだ。 けれど、いつのころからか、 「あーあ、なんだ、またバームクーヘンか。なんで引き出物って、いつもバームクーヘンなんだろ……」 と、思うようになっていた。 その飽き飽きしていたバームクーヘンが、いつの間にこんなにおいしく生まれ変わったのだろう? 美しい卵色のふわふわとした生地は、しっとりしている。切り株の断面のように重なった年輪の繊細さ。口に入れる前から、もう牛乳と卵の明るいオーラで、まわりの空気までおいしくなる。 そして、年輪の一番外側に薄く塗られた砂糖は、白く結晶化している。これを「フォンダン」というらしい。そのフォンダンのたまらなく品のいい甘さ。柔らかい生地の素材の風味と、口の中で交じり合うフォンダンの甘みは、決して出すぎず、決して物足りないことのない、ぎりぎりの一線の絶妙なバランスの上にある。 私は、楊枝に刺したバームクーヘンのかけらを一口、口に入れるたび、素材の優しい風味と、このバランスに、まるでツボを押されたように、 「……うっふん」 と、顔から緊張が抜け、うっとりとなる。 「もう少し……」と「もう充分」の境界にある、「ここだ!」という味の境地をピタリと探り当てられてしまうと、もう、そこを見失いたくなくなる。 そして、いつも、800円の箱入りか、「4分の1カット」サイズの500円の袋入りを買って帰るのだ。 | |||||
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