身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年10月―NO.36
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世の中には、舌や胃袋でなく、
心を満たしてくれるお菓子があるのだ

月世界本舗の「月世界」


お碗
お碗
(画:森下典子)

 小さかった頃、私は神話や民話をいっぱい聞いて育ったが、子供は子供なりに、
(これは、本当にあった話ではない。作ったおとぎ話だ)
 と、分別して聞いていた気がする。
 私の通っていた幼稚園のクラスは、年長組だったからかもしれないけれど、
「月にはウサギさんがいる」
 などという話を真に受ける、いたいけな子供は、1960年当時、もういなかった。
 ところが、秋の、満月が皓々と冴えて見える夜、月を見たら、いないはずのウサギの姿が、そこにくっきりと見えるのだった。しかも、昔話の通り、餅つきをしている……。
(ほ、ほんとうだったんだ!)
 と、たまげたのを覚えている。
 間もなく、その月面が、ごつごつとした岩肌の、荒涼たる砂漠であることを、テレビの中継で何度も見る時代になった。アポロ11号の月面着陸で、アームストロング船長が、アメリカの国旗をはためかせ、月面をポーン、ポーンと飛んで歩くのも、リアルタイムで見た。
 そういう時代の子供にとって、「月」といえば、なんたって、大阪万博で見た「月の石」である。あれは、中学2年の夏休みだった。
 夜空に輝く月の一部が、目の前に置かれているという感動もさることながら、炎天下を5時間も行列して、やっと見た「月の石」が、わが家の風呂場にある軽石と、色といい質感といい、そっくりだったことには、
(……え?これ?)
 と、拍子抜けしたのを覚えている。
 庭先に生えた苔を、間近から、じーっと眺め続けていると、なんだかしだいに、アマゾンの大密林を上空から俯瞰しているように見えてくることがあるけれど、それと同じように、風呂場の軽石の表面をじーっと見つめていると、ゴツゴツとした穴が、しだいに、月面のクレーターに見えるようになったのは、その頃からである……。
 20歳になって、お茶を習い始めた。ある年の秋、お稽古に行くと、床の間に、
「水汲月在手(水汲めば、月、手にあり)」
 という掛け軸がかかっていた。その日は、「満月」だった。
 先生が、漆塗りのお盆に、珍しいお菓子を盛って、出してくださった。
 切り出した白大理石のような、四角い塊である。指でつまむと、空気のように軽かった。断面をよく見ると、ゴツゴツと気泡の穴があいている。
 軽石に似ていた。
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