身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子 |
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2006年1月―NO.39 | |||||
「いやぁー、さすがは伊勢の赤福だ」 | |||||
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「おうい、みんな、ちょっと降りてこないか?いいものがあるんだ」 「みんな」とは、私と弟である。父は真夜中だろうが、寝ている私や幼い弟を起こし、家族全員を茶の間に呼んで、母にお茶をいれさせた。 それから、もったいをつけて、 「はい、これ……」 と、包みを家族の目の前に置き、その名前をおごそかに告げるのである。 「富山の鱒寿司」 「森駅のいかめし」 「新潟の笹だんご」 「いづうの鯖寿司」 父の買ってくるものには、いつも必ず、名前の前に地名や店名の冠がついていて、 「富山の鱒寿司といえば有名だ」 とか、 「いづうといえば、京都でも指折りの老舗なんだぞ」 と、女房子供に言って聞かせた。 それだけではなく、父の土産にはたいがい、 「いやぁー、これを買いに行ったら店が閉まりかかっていて、店のシャッターを開けさせて、無理言って、作らせたんだ」 などという苦労話もついていた。 父は、女房子供らが食べるのを見ながら、 「どうだ、うまいか?」 と、何度も聞き、 「いやぁー、これ買うのに苦労した」 を連発した。苦労した割に、父はやけに張り切って嬉しそうであり、「おやじの威厳」とか「男の甲斐性」とかいうものを、精一杯発揮しようとしているのが、子供にも手に取るようにわかるのだった。父は実に、わかりやすい男だった。 そんな父が、ある晩、いつものように出張先から買って帰ったのが「赤福」であった。父はいつにも増して上機嫌で、 「おうい、みんな、いいものがあるぞ」 と、階段の下から呼んだ。私と弟が眠い目をこすりながら茶の間に下りて行くと、父はピンク色の包装紙に包まれた箱を、うやうやしく差し出した。 「伊勢の赤福だ」 「イセノアカフク?」 「おいおい、箱を横にしないで、平らに持ちなさい。作りたてなんだから……」 そして、父の「いやぁー」が始まった。 「赤福を買いに本店までタクシーすっ飛ばして行って、そのままトンボ帰りしたんだが、新幹線に危うく乗り遅れるところだった。ホームを走って飛び乗ったら、背中でドアがピシャッと閉まった。もうぎりぎり。いやぁー、危なかったぁー!」 父は晴れがましいような顔で胸を張った。 | |||||
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