身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2006年4月―NO.42
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横浜・馬車道の交差点に立ったら、
きっと食べたいものは、 おいなりさんに変わる……

泉平の「まぜ」


泉平の「まぜ」
泉平の「まぜ」
(画:森下典子)

 何べんもそういうことがあった。それまで、カレーが食べたかろうが、ピザが食べたかろうが、ラーメンが食べたかろうが、馬車道の交差点で、信号の色が変わる数十秒の間に、結局、食べたいのはいなりずしに変わってしまうのである。
 たまに、そのまま店の前を行き過ぎようとしても、ガラス張りの店内で、白衣を着た職人さんがせっせと寿司飯を詰めている、汁のしみた大きなお揚げのきれいなキツネ色が見えたりすると、吸い寄せられるようにそこに行って、私は、
「『まぜ』ください」
 と、言う。「まぜ」とは、「泉平」の、いなりずしと干瓢巻きのセットの名前である。
 いなりずしと干瓢巻きといえば、子供の頃の、遠足や運動会の記憶につながっている。遠足の朝、母が甘辛く煮たお揚げに寿司飯をせっせと詰め、簀巻きで干瓢巻きも作って水筒と一緒に持たせてくれた。運動会のときは、重箱に詰めたものを持って応援にきてくれた。それを、チクチクする芝生やシロツメクサの原っぱの上に座ってみんなで食べた。
 遠足に持って行ったいなりずしと干瓢巻きは、リュックサックの中で弁当箱が横になるせいで、蓋を開けると、いつも箱の中で偏り、身を寄せ合っていた。特に、干瓢巻きの丸い筒は、いなりずしの重みにひしゃげて、角になっていたりした。
 ひしゃげて寄った干瓢巻きを、箸ではがして食べた。いなりずしも、時々、汁が弁当箱の外にしみだした……。汁のしみでたのも、ひしゃげたのも、遠足や運動会で食べると、これがまた妙にうまかった。

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