2007年6月―NO.56
きな粉のざらざらと、黒糖蜜のコクのある強い甘さが混じりあい、それがやがて、 ひんやりとしたくず餅のぶりぶりとした冷淡な歯ごたえと絡み合っていく 船橋屋の「くず餅」
船橋屋の「くず餅」 (画:森下典子)
今年は6月から猛暑である。じりじりと照りつける午後の太陽の下で、母が頻繁に庭の家庭菜園にホースで水遣りをしている。 「おかあさ〜ん!」 「なにい?」 「ちょっと一休みして、お茶飲まない?ちょっといいものが冷えてるから」 私はいそいそと冷蔵庫に向かった。船橋屋のくず餅があるのだ。 くず餅は不思議である……。ものすごくおいしいというわけでもないのに、なぜだか時々妙に食べたくなる。 3年前、母とゴールデンウィークに亀戸天神に藤を見に行った。その時、大きな藤棚のある店の前に行列ができているのを見かけた。「元祖 船橋屋」というのれんが揺れている。藤の花房がたわわに下がって、あたりに甘い香りが馥郁と漂っていた。その日、買って帰ったくず餅の、むっちりとした食感が忘れられない……。 今回も、横浜の「クィーンズ伊勢丹」の中に、「船橋屋 こよみ」という店ができたという噂を聞きつけて、さっそく買いに行ったのである。 箱の中に、「おいしい召し上がり方」というしおりが入っていた。それによると、くず餅は、冷蔵庫に長時間入れっぱなしにしてはいけない。本来の歯ごたえや弾力がなくなって風味が損なわれるのだそうだ。そして、食べる前に、冷蔵庫で一、二時間冷やすのがいいという。 なるほど、私も「冷蔵庫で一、二時間」が、ちょうどいい冷やし加減だと思う。だいたい、最近の夏の食べ物、飲み物は冷えすぎている。西瓜だってビールだって、切っ先鋭くキンキンに冷やされている。西瓜などは歯の根まで凍み、冷えすぎで甘みが抜けている。 私が子供だった頃の西瓜は、ビニール紐で編んだ網に入れてぶら下げて帰り、大きな木桶に入れて、水道の蛇口からジャージャーと流れ出る水で冷やした。当時はまだ今みたいな大型冷蔵庫がなかったからだが、水で冷やした方が、歯の根に凍みるようなこともなく、甘みが際立って、程が良かった気がする。 くず餅なら、冷蔵庫で一、二時間も冷やせば充分だ。くず餅の肌が元々持っている、大理石の床のような、あのひんやりした質感で充分なのだ。