2009年8月―NO.82
これが「わらびもち」なら、私が今まで食べてきたのはなんだったんだろう? こ寿々の「わらびもち」
こ寿々の「わらびもち」 (画:森下典子)
先日、鎌倉在住の友だちから、お土産をいただいた。 「これ、食べたことある?」 手渡された包みをチラッとのぞくと、淡い黄色の掛け紙に筆文字で、 「わらびもち こ寿々」 と書いてあった。 わらびもちは、たまに食べるけれど、この「こ寿々」という店のはまだ食べたことがない、と言うと、彼女は、 「わらびもちって、本物のわらび粉を使ってる店は少ないのよ。ここのは本物」 と、自信ありげに微笑み、 「冷やしすぎると硬くなっておいしくないの。冷蔵庫の野菜室がちょうどいいわ。切り口がくっついてはがれにくかったら、水にさらしながらはがしてね」 と言った。 正直言って、私は「わらびもち」にさほどの印象を持ったことがない。それ自体には味がなく、まぶした黄粉と黒蜜の味がするだけだ。 「くずもち」とさほど変わらないではないかと思っていた。 その日の夕食後、さっそく野菜室から包みを取り出した。ビニール容器の封をはがすと、中には、みずみずしいこんにゃくのようなものが横たわっていた。 思わず見惚れた……。水浴の後のように半透明のつやつやした肌は濡れ光り、角がプルプルと揺れている。あまりにも柔らかすぎるせいだろう、もはやシャキッと角を立てることができず、自分自身の水分に耐えかねたように、端のほうが少ししなだれかかっていた。 ふと、夢二の女たちを思い出した……。くずもちばかり食べて色白になった娘ではないが、その「わらびもち」は、夢二の描いた女たちのように妖しく物憂げに、あらゆるものにもたれかかっていた。水気をたっぷりと含んだ生肌が、ギリギリの柔らかさでありながら、だらしなく崩れてしまう一歩手前でかろうじて自らを保っている……。 取り出そうとすると、切り口と切り口がぴたっとくっついて一体化し、引っ張るとビローンとどこまでも正体なく伸びる。その柔らかさと弾力は、かつて大流行した「スライム」という玩具の感触に似ていた。 「水にさらしながらはがすといい」 という友だちの言葉を思い出し、冷水の中で引っ張った。すると、ビローンと伸びながら千切れ、生き物のようにゆっくり縮んで元の姿に復元した。