身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年3月―NO.88

1  

粒々がしっかりしていて、先にふわんと日本酒が香り、
それからピリッと辛く、そして最後にほのかに柚子が香るのだ。

やまやの「辛子明太子」


茶碗
やまやの「辛子明太子」
(画:森下典子)

 あれはどこの海だったのだろう。三浦半島のどこかの浜だったらしいが、詳しい場所がわからない……。
 子どもの頃、祖母が潮干狩りに連れて行ってくれた。首に手ぬぐいを巻いて、麦わら帽子をかぶり、熊手とバケツを持って、だだっぴろい遠浅の浜を裸足で歩いた。春の干潟は、お日さまに照らされて生ぬるく、温かい泥にずぶずぶと足首まで埋まって歩いた。
「典子、ほら見てごらんよ」
 祖母がある場所でしゃがみこむ。見ると、そのあたりの砂地一面に、小さな穴がポツポツとあいていて、穴から時々、ピュッ、ピュッと水が出る。
「こういうところにいるんだよ」
 と、祖母はきらきらと目を輝かせ、熊手でサクサクと砂を掘り、掘り返した砂に手を突っ込んでは何かつかみだして、窪みにたまった海水で手をすすいだ。すると、祖母の手のひらに、アサリが5つ6つ乗っていた。それをバケツにゴロゴロ入れる。サクサク掘ってはゴロゴロ入れる……。
 私も祖母の横にしゃがんで、小さな熊手でサクサク掘った。暖かい砂の下を手で探り、指に触れた貝を掘りだして、海水ですすいでバケツに入れる。掘って、探って、ゴロゴロ入れる。
 祖母のバケツがいっぱいになる頃、風が変わって、波がひたひたと足元にやってきた。
「潮が来たよ。もう上がろう」
 砂浜に上がって、祖母がお弁当を広げた。おにぎりを握ってきてくれていたのだ。
 かぶりつくと、口の中でブチっと海苔が破れ、その瞬間、甘じょっぱい磯の香りがした。おにぎりの奥を見ると、ピンク色の具がのぞいていた。私の大好物の「たらこ」だった。
 当時は今に比べると冷蔵の技術が発達していなかったから、「生もの」は危ないと思われていたのだろう。祖母はいつも「たらこ」を焼いて食卓に出した。だけど、私は生の「たらこ」を食べてみたいと、祖母に懇願し、
「小さいくせに、酒呑みみたいなことを言う子だねえ」
 と、呆れられた。
 この日の具は、軽くさっとあぶった半生の「たらこ」だった。美しく透明感のあるピンク色の粒々が、おにぎりの中で宝石のようにキラキラと光って、私をとろけさせた。
「これでいいのかい?」
「うん!」
  半生の「たらこ」の海の味が、ごはんと混じり合った。ザザーと波の音がして、空でカモメが啼き、背中にはポカポカとお日さまが当たっていた。私はあの潮干狩りの日の、祖母のおにぎりほど、幸せな味のするおにぎりを食べたことはない。

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