身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2010年12月―NO.97

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ねっとりとした甘みと豆の味が、舌の味蕾を通過して体に染み渡った。
両口屋是清の「干支羊羹」


両口屋是清の「干支羊羹」
両口屋是清の「茜の空」
(画:森下典子)

 ……歳月が流れて、私はライターになった。30代のある日、取材で京都へ向かう途中、名古屋に新幹線が停車した。ふと車窓から見た駅前のビルに、懐かしい名前が見えた。
「両口屋是清」
 あ……。その名を見た途端、昭和40年代の、働き盛りだった父を思い出した。その父も、数年前に他界していた。
 生涯、サラリーマンで通した父への反抗もあって、私は会社という組織に属さない生き方を選んだ。父は最後まで、自由業の不安定さを心配していたが、同時に、私の書くものを楽しみにしていてくれた。
 父と違って、私は「お中元」「お歳暮」には、ほとんど縁がないまま、50も半ばになろうとしている。……そんな私に、ここ2,3年、ある方が「お中元」「お歳暮」を贈ってくださっている。それが「両口屋是清」の和菓子だということに、なんだか不思議なご縁を感じている。
 先日、頂戴した「お歳暮」に、「干支羊羹」が入っていた。お正月まで待てず、その日の夕食後に、さっそく母といただいた。
「分厚く切ってよ」という父の言葉が蘇り、分厚く切ると、赤と緑の艶やかな断面の真ん中に、白いものがうずくまっている。
「あらあ、ウサギがいるね」
 固い練羊羹を楊枝で押しきって、口に入れ、じっくり味わう。ねっとりとした甘みと豆の味が、舌の味蕾を通過して体に染み渡った。そして改めて、熱々の濃いめの煎茶を、ふうふうと湯気を吹きながらすする。
 すると、一足先に行きわたった羊羹の甘みを後ろからお茶のうまみが追いかける。やがて、羊羹の甘みに、お茶の味が追いついて混じり合った時、化学変化でも起こるのか、脳の中にたまらない快感が起こった。
「うーんっ、うまい」
 と、唸った時、自分の声の中に、父がいるのをはっきりと感じた。

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