身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年11月―NO.37
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私はいつになく、一切れで満たされた
充実感とは、こうゆうものかもしれない

開運堂の「笹巻き栗むし羊羹」と「道祖神」


開運堂の「道祖神」
開運堂の「道祖神」
(画:森下典子)

 取材で長野に行き、松本駅の前を通った時、
「あ、ここ……」
と、思い出した。松本駅には、ほろにがい思い出がある。
 むかし、ここで恋人と喧嘩別れしたのだ。私は大学2年の20歳。彼は就職したての23歳だった。
「帰るっ!」
 私が車の助手席でむくれ、彼もカッとなって、
「帰れよ!」
 と、私のボストンバッグを外へ放り出した。私は彼の車を降りて、ドアを後ろ手に勢いよく閉め、ボストンバッグを拾って、そのまま後ろを振り返らずに松本駅に向かった。
 ちょうど、新宿行きの「あずさ」が発車する寸前で、それに飛び乗った。発車のアナウンスが流れ、ドアが閉まった時、駅のホームに目をやったら、あのまま車で走り去ったと思っていた彼が立って私を見ていた。
「……!」
「……」
 電車は動き出した。二人とも、相手を仏頂面で見ていた。
「8時ちょうどの〜
あずさ2号で〜
私は私はあなたから旅立ちます〜」
 と、狩人が歌う「あずさ2号」が大流行する1年前のことだ。
 翌週、彼から写真が郵送されてきた。あの日、二人で信濃路をドライブしながら撮った写真だった。安曇野の道端に立っている小さな野仏や道祖神のそばで、二人仲良く並んで撮った写真に目が止まった。まだ、喧嘩する前で、二人とも笑顔だ。
 道祖神は、男女一対で、仲良く肩を組んでいた。私たちも、その隣で、肩を組んでいる。
 だけど、結局、彼とは本当に別れてしまい、2年後に彼が家庭を持ったことを、共通の知人を通じて知った……。
 それから10年以上たったある日、友達が、「これ、長野のおみやげ」
 と、包みをくれた。中から出てきたのは、「道祖神」という小さな干菓子だった。
 薄い紙包みを開くと、路傍の石碑をかたどったキャラメルくらいの小さな白い干菓子である。表面に、男女一対の野仏が寄り添う姿が掘ってある。
「あら、かわいい」
 何気なく、ひょいと干菓子を裏返した。すると、裏にはちゃんと後ろ姿が掘られているではないか。男性が女性の背中に腕を回し、女性がちょっと小首を傾げている。その微笑ましさに、ついついこちらも、頬がゆるんだ。
 齧るとポクッと砕けて、小豆の風味と薄甘さが口に広がった。その素朴な味が、野仏の素朴さとつながっていた。小豆の粉に和三盆糖で甘みをつけたものだそうだ。
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