身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年11月―NO.37
  3

私はいつになく、一切れで満たされた
充実感とは、こうゆうものかもしれない

開運堂の「笹巻き栗むし羊羹」と「道祖神」


開運堂の「笹巻き栗むし羊羹」
開運堂の「笹巻き栗むし羊羹」
(画:森下典子)

 その晩、わが家は、舞茸と油揚げと松の実の炊き込みご飯だった。食後、テーブルをきれいに片付けて、日本茶をいれ、いよいよ、「笹巻き栗むし羊かん」に包丁を入れた。
 テーブルに皿を置くと、
「んーっ!笹のこの匂い!」
 と、母が言い、私は深呼吸して目をつぶった。
 夕暮れのような色の塊に、楊枝を入れ、一切れ、口に入れた。
(……あれ?)
 母も、(あれ?)という顔になった。
 今まで食べた栗むし羊かんは、栗と羊かんの二つの味がした。もっちりとした蒸し羊かんがあり、その中に、ぽくぽくと甘い栗の甘煮が入っているのが栗むし羊かんだった。
 ところが、この笹巻き栗むし羊かんは、どこまでが羊かんで、どこからが栗なのか、わからない。いわば、最初から最後まで、ずーっと栗の味がするのである。
 その栗の味が、実に濃い。砂糖で甘く煮た味ではなく、山で採れた栗の自然の甘味が、そのまま味わえるのだ。
 笹の清潔な香りに包まれた「一本丸ごと栗」のような羊かんに、私はいつになく、一切れで満たされた。充実感とは、こういうものかもしれないと思った。
「道祖神」を、ポクッと齧った。
 ああ、信濃路の秋は豊かだ。
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