身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2005年12月―NO.38
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ブリン、ブリンと噛むと、 白い身から、じわんじわんと、
魚の旨みが出てきて、 口いっぱいに広がる

魚貞蒲鉾店の「すまき」


醤油とわさび
醤油とわさび
(画:森下典子)

 寒くなると私は無性に鍋焼きうどんが食べたくなるのだが、鍋焼きうどんの中には、なぜか必ず、派手なショッキングピンクの蒲鉾が一切れ入っている。
 この蒲鉾を見るたび私は、もやもやとした、何とも解せない気持ちになる……。
「ピンクの蒲鉾」は、一体、どういう立場なのだろう?
「ピンクの蒲鉾」は、鍋焼きうどんに、どうしてもなくてはならない存在なのだろうか?
 そもそも、小さい頃から私は、蒲鉾というものの存在意義そのものに疑問を感じていた。
 あれはいくつのときだったか、母から、
「蒲鉾は、魚からできてるんだよ」
と、聞かされ、びっくりしたことがある。世の中に、これほど、元の姿からかけはなれてしまった食べ物があるだろうか!
 魚は手を加えなくても、そのまま焼いて醤油をかけるだけで十分おいしいのに、なんでわざわざ、すり身にして、板に塗りつけたりするのだろう。そうすることで、おいしくなるならともかく、私には、蒲鉾がおいしいとは、思えなかった。
 蒲鉾は、もはや魚ではない。蒲鉾板の上に、格納庫みたいな格好に塗りつけられて、切ると、テラッとした白い半月形になる。しかも、望むと望まざるとにかかわらず、表面をショッキングピンクに染められたりするのである。
 魚は、この待遇に納得しているのだろうか?
 おせち料理の重箱の中に、ピンクと白のペアで並んだり、結婚式の引き出物として「寿」という文字を入れられたりするのである。
 その最たるものが「細工蒲鉾」だ。色とりどりの蒲鉾で、鶴、亀、エビ、宝船などを作って盛り付けるもので、富山の結婚式には欠かせないのだそうだ。まるで、粘土細工の飾りものである。
「食べ物で遊んじゃいけない」
 と、親に言われて育ったせいか、私はどうも納得がいかない。粘土のような扱いをされた蒲鉾は、どんなに高級品でも、全くおいしそうに見えず、私は、食べ物に対する不当な扱いのように感じるのである。
 鍋焼きうどんの中の、あのピンクの蒲鉾も、たぶん、地味な鍋の中の「彩り」という存在なのだろう。
 だけど、私はもう一度、問いたい。
 食べ物なのに「飾り」や「彩り」として扱われるなんて、本当にそれでいいのだろうか?
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