身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子 |
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2006年3月―NO.41 | |||||
純粋に「柿の種」だけに向き合い、
歯ざわりを頭蓋骨に響かせ、 | |||||
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「柿の種」の缶に描かれた絵は、典型的な日本の農村の風景である。わらぶき屋根の家の軒先に、柿の実がなっていて、庭先で鶏や子供たちが遊んでいる。馬車に米俵を乗せて引いている人もいる。 私は農村ではなく、神奈川県の横須賀で生まれ、横浜で育った。 なのに、なぜかこの缶が、妙に子供の頃の記憶を刺激するのである。 ……あれは、祖父の家だった。私が祖父の家で暮らしたのは、幼稚園に入る前までだったというから、まだ物心付く前の記憶である。 「プー!プー!」 遠くで、お豆腐屋さんの、かすれたラッパの音がする。玄関のたたきの角に、柿のような色の夕日が差し込んでいた。ラジオからは、歌謡曲が流れていた。そして、仕事から帰った祖父が風呂で、 「バシャー!バシャー!」 と、お湯を使う音がする。 昭和の夕暮れである……。 昭和の夕暮れは、その当時から、すでに郷愁を帯びていた気がする。「もの悲しさ」も「懐かしさ」も「わびしさ」も知らないはずの幼児でさえ、なぜかその時間帯、玄関に夕日が差し込んで、お豆腐屋さんのラッパやラジオの音楽が流れてくると、胸のどこかがやるせない気持ちになった。 けれど、いつの間にかやるせなさは消え、夜がやってくる。祖父は、風呂から上がると、いつも瓶ビールを前にして、テレビでプロレス中継を見ていた。 ポリポリポリポリ……。 「柿の種」を齧りながら、ぐびり、ぐびりとビールを飲み、 「あーっ」 と、何か呻く。 「おい、ちょっと見ろ!」 祖母を呼んで、祖父はまた、 ポリポリポリポリ……。 「なになに」 と、祖母がやってきて、横から「柿の種」に手を伸ばす。 ポリポリポリポリ……。 やがて、勤めから帰ってきた叔母も、プロレス観戦に加わり、手を伸ばす。 ポリポリポリポリ……。 ポリポリポリポリ……。 この、夕暮れのやるせなさと、夜の供「柿の種」の音が、私の人生最初の記憶だ。その頃から、「柿の種」は、あの缶に入っていた。 | |||||
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