2006年5月―NO.43
たべものは、「もういっぱいだ」と思うより、 「もう少し食べたい」と、感じるくらいの方が、はるかにおいしさが勝る。 空也の「空也もなか」
空也の「空也もなか」 (画:森下典子)
実は、ある時まで、私はもなかが苦手だった。子供のころ、もなかを食べると、いつも皮がはがれ上顎にペターッと貼り付いた。貼り付いた皮は、口の中の水分を吸って密着し、これがなかなかはがれない。不快だった。 上顎に貼り付かなくとも、皮が細かく砕けて、ぽろぽろと散った。餡子がやたらに多く、その餡子のまわりに皮の粉がくっついている。もなか一個を食べ終わる頃には、いつも餡子の甘みにうんざりした。 「空也もなか」を初めて食べたのは、20代の初めだ。お茶のお稽古の日、 「さっき、銀座までちょいとひとっ走りして買って来たのよ」 と、先生が出してくれた。 上顎に貼り付かない。ぼろぼろ崩れない。香ばしくて、パリパリと張りのある皮と、甘いつぶし餡のハーモニー。 一個を二口で食べ終わる。その小ぶりなサイズが、実に良かった。二口食べ終るまで、ずーっと皮と餡のハーモニーが続く。すると、食べ終わった後、必ず、もう一個食べたくなるのだ。 たべものは、「もういっぱいだ」と思うより、「もう少し食べたい」と、感じるくらいの方が、はるかにおいしさが勝る。 「バリバリッ」三つ目の黄金色の皮に歯を立てる。 「空也もなか」を食べた後に飲む、ちょっと濃い目の煎茶……。これがまた、たまらない味である。