2006年6月―NO.44
ただ黙って、枝豆の滋養の味が、細胞に行き渡るままにするこの幸せ! 脳みその神経の端々までが、枝豆の味を読み込むように味わっている気がする。 ずんだ茶寮の「ずんだ餅」
ホタルブクロ (画:森下典子)
私が「ずんだ」なるものを初めて知ったのは、おととしの初夏である。宮城県のとある温泉町で、旅館の浴衣に下駄をつっかけ、アーケイドを散策していた時のことだった。 みやげ物屋の軒先に、 「ずんだ餅」 「ずんだまんじゅう」 「ずんだアイス」 という貼り紙が並んでいる。 (……?) ずんだ……変な名前である。その変な名前が、想像力を刺激した。 「ずんだ!」 と、声に出してみると、何かをぐちゃっと踏み潰したような気分がする。特に、「ずん」の部分に、 「ええい、思い切り踏んでやる!」 という粗暴な気分が漂っている。 そういう粗暴なニュアンスを込めて貼り紙をもう一度読んでみると、 「これでもかこれでもかと踏まれた餅」 「ぺちゃんこに潰されたまんじゅう」 「思いっきり踏んづけたアイス」 のように思える。どれもまずそうである。 (なにも「ずんだ」にしなくたってよさそうなのになぁ〜) 気にはなったが、そのまま、みやげ物屋の前を素通りし、旅館に戻った。 夕食を前に、ビールと枝豆が出た。 「いただきます」 ビールをグビリと一口。痛いほど冷えた液体が、喉をカーッと駆け下りた。目の前の枝豆を口に持って行き、歯でサヤをしごいた。豆がつるっと滑り出る。その豆を噛んだ時、 「……!」 おっ、と思った。豆がむんと強く香った。味がくっきりとして濃い。そうだ、枝豆って、こういう味だった……。 「この枝豆、おいしい!」 「ずんだ豆です」 と、ビールを注ぎながら、仲居さんが言った。 「ずんだ豆?」 「はい、後で、デザートに『ずんだ餅』をお持ちしますからね」 「え、……ずんだ餅?」