2006年6月―NO.44
ただ黙って、枝豆の滋養の味が、細胞に行き渡るままにするこの幸せ! 脳みその神経の端々までが、枝豆の味を読み込むように味わっている気がする。 ずんだ茶寮の「ずんだ餅」
ずんだ茶寮の「ずんだ餅」 (画:森下典子)
食後に登場したそれは、涼やかなガラスの皿に載っていた。 「わぁ!」 鮮やかな黄緑色に思わず目を奪われた。黄緑色のタレが、一口大の餅に、たっぷりとまぶされている。 「茹でた枝豆、すり鉢で擦って、砂糖で甘く味付けして、餅にからめてですね……。はぁ、昔から有名な郷土料理です」 「へえ〜」 「ずんだ餅」とは、これでもかこれでもかと踏み潰された餅ではなかったのだ。 美しい黄緑色のタレを、柔らかい餅にたっぷりからめて、そっと口に入れた。 「!」 解き放たれたような、枝豆の濃厚な香り。黄緑色のタレとねばりのある餅がからみ合い、噛むたびに、「甘み」と「滋養」が一緒くたになって、私に押し寄せる。 甘さと、もちもちした食感に身を任せ、うっとりと目を細めた。 何も思わず、何も言わず……。 ただ黙って、枝豆の滋養の味が、細胞に行き渡るままにするこの幸せ!脳みその神経の端々までが、枝豆の味を読み込むように味わっている気がする。 ふと、牧場の牛の、しぼりたての乳の味を思い出した。大豆のことを、「畑の牛乳」というのは、このことだったか。 もちもちと噛んで、 「ん〜」 と、溜息をつき、また一口入れて、もちもち噛んでは、 「ん〜」 と、唸る。やがて餅がなくなると、皿に残った黄緑色のタレを、指でなめるように取って、舌にのせる。 「んーっ」 私はきっと、眉根を寄せ、難しい顔をしていたに違いない。おいしさの深みに入った時、人は案外、考え込んでいるような顔になるのだ。