身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2006年7月―NO.45

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どこのお店のカレーよりも「ボンカレー」が好きだった。
舌に「ボンカレー」の味が染み付いた。

大塚食品の「ボンカレー」


ボンカレーはレトルトの草分けでした
ボンカレーはレトルトの草分けでした
(画:森下典子)

 松山容子さんといえば、昭和30年代から40年代にかけて、時代劇の花だった。美しいお姫様が、悪い男どもを華麗な殺陣でバッサバッサと斬り倒す。そんな痛快なアクション時代劇で主役を張っていた。
 そういう時代劇を、昔の人は「女剣劇」と呼んだらしい。父は、松山容子さんを見ると、たとえそれが時代劇でなくても、必ず、
「あ、女剣劇だ」
 と、言った。
 その「女剣劇」がにっこり微笑む「ボンカレー」の箱を開けると、中には、厚手の頑丈そうな白い袋が入っていた。
 「レトルト」という言葉も、まだ生まれていなかった。袋には、「ヒートパック」と書いてあった。そのヒートパックを鍋の熱湯に入れて、3分間ゴトゴトと煮る。
 熱々になった袋の封を切った時、ヒートパックの内側の、アルミ箔のような銀色を見て、
(宇宙食みたいだ……)
 と、思ったのを覚えている。
 皿によそったご飯に、袋の中身をかけると、湯気があがって、褐色のルウがどろどろと流れ出し、あたりはたちまち食欲をそそるあのカレーの匂いに占領された。
 居間のテレビが、「人類の歴史的な一歩」を中継しているのを見ながら、弟と「ボンカレー」を食べた……。
 そういえば、あの頃、わが家のカレーに入っていた肉は、豚のバラ肉だった。それもペラペラと薄かった。牛肉が入っている日もあったが、たいてい挽肉だった。
 いつだったか、遊びに行った友達の家で、カレーをご馳走になり、驚いた。その家のカレーには、サイコロのような牛肉がごろごろと入っていた。肉が、「平面」でなく「立体」だったことに、衝撃を受けた。長時間煮込まれていたらしく、牛肉の「立体」をスプーンの腹で押すと、ほろほろと繊維に割れた。その繊維になった牛肉のうまみと風味が、カレーのルウにこっくりと滲みていた。
 「ボンカレー」を一口食べたとき、私はその味に再会した。ほろほろと割れた牛肉の繊維も見えた。
「……!」
 鍋も汚さず、油もはねず、包丁も使わず、たった3分温めただけで、こんなカレーが食べられるのかと、感激した。
「おねえちゃん、おいしいね!」
「うん!」
 弟と私は、顔を見合わせた。

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