2006年7月―NO.45
どこのお店のカレーよりも「ボンカレー」が好きだった。 舌に「ボンカレー」の味が染み付いた。 大塚食品の「ボンカレー」
地方へ行くと今もみかけるホーローの看板 (画:森下典子)
それから、しばらく、私の「ボンカレー時代」が続いた。どこのお店のカレーよりも「ボンカレー」が好きだった。舌に「ボンカレー」の味が染み付いた。 ある時、外国へ行く親戚を見送りに、空港に行った。東京国際空港が、まだ羽田の時代だった。出発まで間があったので、あるレストランで食事をした。 そのお店のカレーを一口食べるなり、 (あ、ボンカレーだ……) と、思った。 「そんなことないでしょ。レストランが『ボンカレー』出すはずないじゃない」 と、大人たちは言ったが、私は今でも、あれは確かに「ボンカレー」の味だったと思う。 やがて、レトルトカレーにも、さまざまな種類ができて、昭和60年代に入ると、いつの間にか松山容子さんの「ボンカレー」のパッケージを見かけなくなった。(沖縄でのみ、今でも売られていると聞く)。 地方の、古い商店の板塀などに、ホーロー製の看板が掛っているのを見ると、 「あっ、ボンカレーだ!」 と、懐かしくなる。 パッケージが松坂慶子さんに代わったのは、なんと37年ぶりだというではないか。 へぇー、アポロ11号が月面に着陸してから、もうそんなに年月が過ぎたのかぁ〜。