2007年7月―NO.57
この一粒の宝石を味わいながら、 顔をすぼめ、目を細め、 私は季節の幸せに、思わず微笑む 源吉兆庵の「陸乃宝珠」
源吉兆庵の「陸乃宝珠」 (画:森下典子)
中校生のころ、私は机の上の地球儀を回しながら、よく「世界一周旅行」の空想にぼんやりとふけった。「パリ」「ローマ」「ロンドン」「ニューヨーク」などの有名な観光地でなくとも、地球儀に書いてある地名から、さまざまな想像がふくらんだ。 たとえば、「マドラス」「ブエノスアイレス」「エルサルバドル」などという地名を見ると、なぜか、キザな伊達男たちがぞろぞろ歩いている町のように思えてならなかった。また、「ヘルシンキ」「ベルリン」「キエフ」などという町の名は、どこか冷たく寒々と聞こえ、町中がスケートリンクのように氷がはっているように思えるのだった。私は地名だけで、勝手に妄想をふくらませた。 そんな地球儀の中に、私の憧れをかきたててやまない地名があった。エジプトの「アレキサンドリア」である。「アレキサンドリア」という名は、それだけでパリよりもローマよりも魅力的だった。まるで、「美女」か「宝石」の名前のように思えた。みずみずしく輝き、絢爛豪華でエキゾチックに聞こえるのである。月が輝く夜、異国の美しい女たちが、薄い絹のベールをたなびかせて踊る王宮のように思えるのである。 想像はまさしく当たっていた。ここに、かのクレオパトラの都があったと知ったのは、高校の世界史の授業でだった。 「やっぱり!」 と、思った。よく「名は体を現す」というが、地名というのも、その場所のありようを自ずと表すのだろう。