2007年12月―NO.62
どこをとっても本格的である。 これがあれば私はもう、冬の夜、「鍋焼きうどん」食べたさに、悶えることはない。 キンレイの「鍋焼うどん」
My箸置き (画:森下典子)
落語に詳しい友達に誘われ、ある年の師走に寄席に行った。演目は「うどんや」だった。 江戸っ子は、うどんより蕎麦を好んだらしい。うどんは、風邪でもひいた時に体を温めるために食べるくらいだったそうだ。……底冷えする夜更け、前と後ろに荷を担いで「うどんや」が鍋焼きうどんを売り歩いている。が、さっぱり声はかからない。 やっと酔っ払いが通りかかって「うどんや」を呼びとめた。 「ちょいと火に当たらせてくんな」 「へーい」 「うどんや」はさっそく荷を下ろし、炭火を熾して注文を待つが、なかなか注文がかからない。酔っ払いはろれつの回らない口で、何度もぐるぐると同じ話をくりかえし、体が温まると、水だけ飲んで帰ってしまった。 「うどんや」は仕方なく、また荷を担いで、売り歩くがなかなか声がかからない。やっと大きな店の裏口から、あたりをはばかるような小さな声で、 「うどんやさん」 と、声がかかった。 店の奉公人たちが、主人に内緒でお夜食を食べようという時など、こうして裏からそっと声をかける。だから小さな声で呼ばれた時ほど、商売になる。それを心得ている「うどんや」は、自分も声をひそめて「へーい」と返事をし、店の裏口にそっと荷を下ろした。 「何人前ですかい?」 「一人前」 これはきっと、先に一人が食べてみて、うまかったら奥にいる奉公人たちを呼ぶのだろう。「うどんや」は張りきっておいしい鍋焼きうどんを作った。 ぐつぐつ煮えた鍋焼きうどんを、客がふうふう言いながら食べるシーンが至芸だった……。セリフはない。扇子を割りばしのように横にくわえて、パリっと割り、熱々の鍋の蓋を取った途端、白い湯気がもうもうと渦巻いて上がるのが私には確かに見えた。満座の客が見守るなか、落語家は湯気をふうふうと吹きながら熱いうどんを口に運ぶ。煮えた長ネギの匂いがぷ〜んと客席まで漂ってきた。お麩がペロンと口に入った途端、上顎を火傷したらしい。「あつっ」と言うように顔をしかめ、慌ててはふはふと口の中でお麩を冷ます。客席から、思わずくすくすと笑いが起こった。 ずるずる、ずるずる、ずるずる…… すする音で、うどんの太さがわかった。うどんつゆの匂いが場内いっぱいにたちこめた。関東風のやや濃いめだ。 やがて、両手で鍋を持って、つゆまでおいしそうに飲み干すと、すっかり芯から温まった客は、「ふーっ」と赤い顔で満足そうに息を吐き、額に滲んだ汗を手拭いで押えて、「いくら?」と、一人前のうどんの代金を払い、それから小さな声で、 「うどんやさん」 と、言った。 「へい」 声をひそめ、待ってましたとばかり身を乗り出す「うどんや」に、客は言った。 「お前さんも、風邪をひいたのかい?」