身近な生活の中のおいしさあれこれを1ヶ月に1度お届けします 森下典子
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2007年12月―NO.62

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どこをとっても本格的である。
これがあれば私はもう、冬の夜、「鍋焼きうどん」食べたさに、悶えることはない。

キンレイの「鍋焼うどん」


キンレイの「鍋焼うどん」
キンレイの「鍋焼うどん」
(画:森下典子)

 寄席から出ると、師走の東京に寒風が吹いていて、背中がちょっとゾクゾクした。帰り道、私は目で「うどん屋」の看板を探し歩いた。
(ああ、鍋焼きうどんが食べたい!)
 あの「うどんや」の、ぐつぐつ煮えた「鍋焼きうどん」が、まだ眼前に迫って見える気がした。長ネギや、だしつゆの匂いが匂って仕方ないのだ。熱々の鍋焼きうどんをすすって汗をかけば、風邪っぽさなど吹き飛ぶはずだと、全身で思った。
 しかし、もう10時を過ぎていて、どこの店も閉まっていた。食べられないと思うと、なおさら「鍋焼きうどん」がまざまざと目に浮かんだ。家の最寄り駅で降り、夜更けの商店街を端から端までウロウロした。いつも、出汁の匂いをぷんぷんさせている立ち食いの店に飛んで行ったが、すでにシャッターが閉まっていた。身悶えするほど切なくて、その晩はなかなか寝つけなかった。
  翌日、母に、風邪をひきそうだからと、鍋焼きうどんを作ってもらった。ぐつぐつと煮えたうどんの上に、ネギ、シイタケ、かまぼこ、お麩、ほうれん草、海老天が乗っていて、卵が落としてあった。私は綿入れの半纏を着て、ふうふうと湯気を吹きながら、熱いうどんをすすった。「食べたい時が、うまい時」というが、私は本懐を遂げた気がした。風邪はいっぺんで吹き飛んだ。

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