2008年3月―NO.65
優しく滋味豊かな、 お豆腐屋さんの良心の味がした。 鎌倉小町の「豆乳パウンドケーキ」
鎌倉小町の「豆乳パウンドケーキ」 (画:森下典子)
ところが…………あれ?と思った。 2口、3口と食べ、私は自分がかじりとったマフィンの断面を改めて見つめた。 これはおかしい。バター臭さも、しつこい甘さもない。何より、あのぼそぼそ感がないのだ。予想外だった……。 黄色い生地はしっとりし、ふわふわとやわらかい。まるで吸い込むがごとく、ペロッと1個食べ終え、私は2個めの紙カップをペリペリとはがし始めた。 (体にしみわたるようなこのまろやかな風味は何だろう?) 遠い昔に食べた「何か」に似ていた。自分の体がよく知っている「何か」……。 このマフィンなら、いくつでも食べられる気がした。 ついさっき、心の中で、 「なんでこんなまずい焼き菓子なんか買ってきたのよ」 と、思ったが、あれを口に出さないでよかったと胸をなでおろしながら、私は3個目の紙カップをペリペリはがした。 「ねえ、このマフィン、どこで買ったの?」 「横浜三越の地下だよ」 後日、母から聞いた売り場のあたりに行ってみると、あのビニール袋入りのマフィンが、意外な店で売られていた。お豆腐、湯葉、がんもどき、油揚げなどと一緒に並んでいたのである。パウンドケーキも売っている。 店の名前は「鎌倉小町」。お豆腐の専門店である。「豆乳マフィン」「豆乳パウンドケーキ」という札が立っていた。 体にしみわたるようなあのまろやかな風味は、豆乳で作られていたからだったのだ! 焼き菓子といえば、ふつうは新鮮な卵やバター、牛乳などの香りが思い浮かぶけれど、そういえば、このマフィンには、「乳臭さ」がなかった。 お豆腐ができるほど濃厚な豆乳から作られた焼き菓子の味は、子供のころに母が作ってくれた「おから」を思い出させた。 昭和30年代、わが家の食卓にはいつも、南天の絵のついた大鉢があって、その中に「おから」が山盛りに作ってあったのだ。ニンジン、キャベツ、ゴボウなどの切れ端が入った母の「おから」は、食べても食べても不思議に飽きず、優しい滋養の味がした……。 この日、私は「豆乳マフィン」と、クルミ入りの「豆乳パウンドケーキ」を買って帰った。 このパウンドケーキが、またうまかった。クルミがどっさりと入っていて、クルミの濃厚さと豆乳の風味が実によく合う。