2008年5月―NO.67
これらが食卓に並んでいたら、 私は何も言うことはない 幸福は、虹の向こうや山の彼方ではなく、 皿の上にある 魚久の「粕漬け」
ぎんだらの粕漬 (画:森下典子)
「ぎんだらの粕漬け」を焼く時は、水で酒粕を洗い流してから、うやうやしく焼き網に乗せる。 洗い流すのがもったいない気もするが、熟成した粕漬けは、すでに切り身に充分味がしみ込んでいるし、粕は燃えやすく、あっという間に焦げつくから、ここはよく洗い流さなければいけない。 くれぐれも弱火でじっくりと焼くことである。茶の間でテレビドラマが佳境になっても、決してそばを離れてはならない。ちょっとでも目を離せば、せっかくの「ぎんだら」が黒焦げである。 弱火で、7,8分もすると、 「じゅーっ」 と、音がして、台所中にぎんだらの脂が焼ける匂いと、酒粕の甘い香りが、 (もわ〜ん) と漂う。 やがて、切り身の端の方が、じんわりと淡いべっ甲色に色づいてくる。そろそろ火を止めた方がいい。 「もう少し……」 と思ったばかりに、私は何度も、粕漬けを真黒にしてしまった。 「炊きたてのピカピカ光るご飯。 油揚げとネギのシンプルなお味噌汁。 青菜のおひたし。 ワカメときゅうりの三杯酢。 たくあんの古漬け。 そして、ぎんだらの粕漬け」 これらが食卓に並んでいたら、私は何も言うことはない。 幸福は、虹の向こうや山の彼方ではなく、皿の上にある。