2008年5月―NO.67
これらが食卓に並んでいたら、 私は何も言うことはない 幸福は、虹の向こうや山の彼方ではなく、 皿の上にある 魚久の「粕漬け」
さわらの粕漬 (画:森下典子)
焼き上がった「ぎんだらの粕漬け」は、実に美しい。脂でキラキラ光る切り身の縁を、黒い皮がなぞるように貼り付いて、うっすらとべっ甲色に焼けた白身は、半透明に透けている。 焼くとき、どんなに気をつけても、やっぱり少し焦げてしまう、その焦げたあたりもまた、うまそうなのである。 箸先が軽く触っただけで、身はほろほろとほぐれ、酒粕のこっくりとした甘い香りが鼻腔をくすぐる。 (さぁ、さぁ!) と、「ぎんだら」が私を呼ぶ。全身がうずうずする。もう矢も盾もたまらない。 脂ののりきった白身を、箸で一切れつかむ。酒粕にとっくり漬かって、甘い色をしている。 口に入れる。 「……」 (もわ〜ん) とした酒の香りと共に、まろやかさと奥深さがやってきて、細胞の隅々にしみわたる。身はすでに、噛む必要もないほどやわらかくほぐれている。 熟女のごとき「ぎんだら」の白身から、甘さ、やさしさ、滋養、充実、深み、豊かさ、まろやかさなどが、 (トロ〜ン) と、なだれ込んで、私を占領する。 占領された私には、甘さ、やさしさ、滋養、充実、深み、豊かさなどが宿り、幸せになる。食べるって、そういうことなのね。 「ありがとう」 と、心から思う。 酒粕の神様はえらい!漬けこまれた食材に馥郁たる風味を与え、持ち味をひきだし、味をまろやかにやわらかく醸成し、消化吸収をよくし、栄養を何倍にも増やす。 酒粕の神様! もしや、「やおよろずの神々」とは、あなたさまのことですか?